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慶応の応援に「当たり前が戻った」。失われた甲子園を目指す元高校球児の思い

ライフスタイル

マスクのない大声援が響き渡った阪神甲子園球場。107年ぶりの優勝を飾った慶応の大応援団を外野席から見つめる、ある元高校球児の姿がありました。新型コロナウイルスの猛威によって甲子園が中止された2020年夏に高校3年生だった、大武優斗さん。仲間と立ち上げた「あの夏を取り戻せ」というプロジェクトでこの秋、甲子園に立とうとしています。

全国高校野球選手権の決勝があった2023年8月22日、三塁側アルプススタンドが揺れるほどの慶応の大声援に、武蔵野大学3年の大武優斗さんは圧倒されていました。

「これが甲子園なのか」

大武さんが阪神甲子園球場に足を踏み入れるのは、この日が人生で初めてでした。

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野球人生において「聖地」だった阪神甲子園球場
Adobe Stock / Loco

野球から逃げた

小学1年生から野球を始めた大武さんが、ずっと目標として掲げてきた「聖地」。阪神甲子園球場は選手としてグラウンドに立つための場所だという強い決意から、高校野球やプロ野球の試合が行われても観戦に行ったことがなかったのです。

高校3年まで毎日バットを振り続けてきたのは、甲子園に出場するためでした。しかしその夢は、新型コロナウイルスの感染拡大による影響で、春のセンバツ、夏の全国大会ともに開催中止という非情な結末となりました。夏は地方大会までも中止となり、代替大会は開かれたものの、甲子園という目標を奪われたまま引退する形になりました。

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小学1年生から野球を始めた大武優斗さん。甲子園をずっと目標にしていた
出典:うぶごえ

野球を「やり切った」という達成感がないまま終わり、「野球に捧げた12年間は何だったんだ」と心にぽっかりと穴があいたような心境になりました。

「誰のせいでもない。嘆いたところで何も変わらない」。そう自分に言い聞かせてもモヤモヤは募るばかりで、「野球から逃げた」という大武さん。バットやグローブに触る気が失せ、野球の試合も一切、観なくなりました。

終止符を打ちたい

高校卒業後は武蔵野大学に進学。アントレプレナーシップ学部で起業を学んでいた2022年、高校の同級生と会ったときに「あの夏」のことが話題になりました。悔しい思いをしていたのは大武さんだけではありませんでした。

「燃え尽きずに終わった青春に終止符を打てないまま、いつまでもモヤモヤしていたくない。あの夏を僕たちで取り戻すことができないだろうか」

元高校球児たちが3年越しに甲子園を目指すというプロジェクトのアイデアが生まれました。

2022年8月5日、プロジェクトを発表し、SNSを立ち上げました。2020年夏に各都道府県で開かれた地方大会の代替となる大会で代表校や上位校になった学校に声をかけ、参加チームを集めました。

現在は44チーム、約1000人の元高校球児が参加を表明しています。そして2023年11月29日に阪神甲子園球場を利用できることが決まりました。近隣の球場での交流戦と合わせ、幻の大会がプレイボールとなります。

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全国から約1000人の元高校野球選手たちが参加する予定
出典:うぶごえ

憧れの「聖地」へ

大武さんは発起人として資金集めや広報に駆け回っていますが、2023年6月に始めたクラウドファンディングは現在、目標金額7000万円の7分の1ほど。球場の使用料や選手の交通費、宿泊費をまかなうまでには及びません。

クラウドファンディング

「自分はリーダーに向いていないのではないか」と落ち込んでいたとき、知人から甲子園大会決勝の観戦に誘われ、新幹線に飛び乗りました。一度は逃げた野球でしたが、プロジェクトを通して再び向き合えるようになったのです。

初めての甲子園。足を踏み入れた途端、感動が押し寄せてきました。

「僕たちが目指していたのは、ここだったんだ」

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幻となった2000年夏の第102回大会を「取り戻したい」
出典:大武優斗さんのX @anonatsu_yuto

「試合の内容ももちろんですが、3年ぶりに解禁された声出し応援に感動しました。3年前の夏の代替大会は無観客で、グラウンドで声は聞こえませんでした。当たり前だと思っていたことが当たり前ではなくなった年でした。だから甲子園で声出し応援を聞いて、当たり前が戻ってきたと感じました」

全国一斉休校、緊急事態宣言、部活動の自粛。授業中や友達との会話でもマスクを外すことができず、お昼も「黙食」しなければならないまま終わった高校生活でした。感動したら自然に声を出せるという"当たり前"の風景に、こみ上げるものがありました。

準優勝した仙台育英の須江航監督は、東北勢として初優勝した2022年夏の大会のインタビューで「青春って、すごく密なので」とコメントし、新語・流行語大賞の選考委員特別賞に選ばれました。

「昨年、その言葉を聞いたときはその通りだなと思いましたが、この1年間プロジェクトをやってきて、より重く受け止めるようになりました。青春を本当に取り戻したいです」

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