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「もっと大変な人がいる」という "つらさマウント"は意味がない。精神科医のゆるいアドバイス

無意味な「つらさマウント」

ーーつらさやしんどさを他人と比べることを指す「つらさマウント」という表現も印象的でした。

つらさや悩みを打ち明けたときに「もっとつらい人もいるんだから」「より大変なことがあるからまだマシ」などと返されて、それ以上は言えなくなってしまうということをよく聞きます。

他人のつらさやしんどさを勝手に推し量ってくる人がいますが、つらさは数値化できるものではないので、本人がつらいと言っていることを否定のしようがないんです。環境が異なるので、自分の体験談を持ち出して相手のつらさを否定するのも無意味です。

つらさやしんどさは、比べることに意味がないし、比べられっこない。つらさを誰かと比べて我慢する必要はまったくありません。

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『「誰かのため」に生きすぎない』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)

「誰かのため」に生きすぎない

Akiko Kobayashi / OTEMOTO

ーーところで藤野さん自身は、精神科医として診察するかたわら休日もSNSやVoicyで発信していて、それこそ「誰かのために生きすぎている」ようなイメージだったのですが。実際はゆっくりな話し方と崩した姿勢で、とてもリラックスした雰囲気です。「ゆるゆる」な生き方はどうやって身につけたんでしょうか。

僕は幼い頃に川崎病になり、いまも心臓に冠動脈瘤という障害が残っています。

何度も入退院を繰り返し、激しい運動を制限されていた中で医師を目指すようになったので、学生の頃は生き急いでいました。

大学受験のときには一瞬も無駄にしないようにと必死に勉強したんですが、その速度で生き続けるのは無理だとふと気づいたんですね。短期間ならまだしも何十年もそんなに気を張っているとどこかで糸が切れてしまうので、たまには糸をゆるめる作業も必要だと思うようになりました。

研修医のときはまだシャキシャキしていましたが、変わったのは精神科医として働き始めてからです。

ゆるさから生まれる余裕

精神科の診察室を訪れる人の中には、「ゆるくない」人たちが多くいます。緊張していて肩が凝り固まっていて、早くなんとかしなきゃと生き急いでいる人たちです。そういう人たちと接する医師のほうもシャッキリしていたら彼らの緊張がより増すだろうと思い、なるべくリラックスした姿勢でゆっくり話すように心がけるようになりました。

そうするうちに、ゆるゆると生きたほうが生きやすいということに気づきました。

時間もエネルギーも限られている中でゆるゆると生きるには、優先順位を考えなければなりません。僕の場合は、他人のインスタやブランドもの、出世レースなど、自分に必要ないのに知らないうちに乗っかっていた"競争"から降りることで、優先順位が高いことに余裕をもって取り組めるようになったんです。

それは、「天職」だと感じられる精神科医の仕事であり、医療刑務所の仕事であり、それ以外の時間に自分のペースで取り組んでいる発信です。

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「この本を読んだうえで『誰かのために』と広めてくれる人も多いです」(藤野さん)
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

ーー最近は著書や監修本を多く出されていますが、印税を寄付しているという話を聞きました。

本を出版するときの"裏ルール"みたいなものを決めています。『コロナうつはぷかぷか思考でゆるゆる鎮める』ではコロナ禍だったので医療従事者に全額寄付し、児童書『マンガでわかる!小学生のためのモヤモヤ・イライラとのつきあい方』を出版したときは、公益財団法人ドナルド・マクドナルド・ハウスに寄付しました。

僕が子どもの頃に何度も入院したとき、付き添いのベッドがなくて親がとても大変そうだったので、病院の近くにある家族の滞在施設であるドナルド・マクドナルド・ハウスを応援したいと思ったからです。自分にできる範囲のことを好きでやっているだけです。

ーー人生で力の抜き方がわからないという人に、アドバイスはありますか。

仕事や育児、受験や競争など「いまこの問題を何とかしないととんでもないことが起こる」「人生が変わってしまう」などと思い詰める人は少なくありません。でも人生というのは、一つの出来事でそんなに大きく変わらないし、「これで人生終わったな」ということが何度かあったとしても、なんだかんだ続いていくのが人生です。

答えがでない問題や対処できない事態に対して、宙ぶらりんの状態に耐える力「ネガティブ・ケイパビリティ」の重要性も、昨今は見直されてきています。

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