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コスメカウンターという憧れに終止符を

ビューティ

特集「やめた女たち」コラムシリーズ。文筆家・佐々木ののかさんが「私、憧れを憧れのままにするのをやめました」というテーマでエッセイを綴ります。

佐々木ののか

「私、ちゃんとした化粧品買ったことなくて。一緒に買いに行くのはどうかな、百貨店とかに」

大好きな親友よろしくかわいいガールからお誘いを受けたのは、1月のことだった。

かわいいガールはカラフルな餃子を食べに行く約束だとか、あずきゼリーを食べに行く約束だとか、そういうキラキラした楽しい約束を持ってきてくれる。彼女からの連絡が来ると、心がもれなくぱあああっと明るくなる。彼女との約束はなんだってうれしい。

だけど、今回は百貨店で化粧品を買う約束だ。自意識と羞恥の記憶が脳内で煮えたぎる。二つ返事でYESとは言えなかった。

コスメ選びは感情労働

何かをほしいと思うことは恥ずかしい。コスメ選びはその最たるものだ。自分を美しく見せたいという願望が裏に潜んでいる。化粧を施した自分を想像していいなと思い、レジにすごすごと持って行き、「私はこれがほしいです」と意思表示をしなければならない。

コスメ選びは感情労働。お金は払うから無人レジにしてくれ。雑多な店や薬局ならまだマシ。トイレットペーパーやら食器用洗剤と一緒に、小さなルージュをカゴの一番下に滑り込ませ、そんなにほしくないような顔をして買うことができる。雑多な店でコスメを買うのは許される気がする。誰にもダメって言われてないけど。

それに百貨店だけは無理。絶対に無理。煌びやかで明るい店内を、まるで洞窟の中を進むように肩をすぼめて恐る恐る歩き、店先に立つ美容部員と視線交わらせたらロックオン。何かお探しですかと聞かれて「別に化粧品がほしいわけじゃないんです」と言って、ぽかんとされる。そりゃそうだ。気が動転して泣きたくなり「また来ます」と言ってその場から立ち去っては二度と来られない場所をまたひとつ増やす。

化粧が嫌いなわけじゃない。百貨店でコスメを買うのも憧れる。ただ、なんとなく気後れしてしまう。だからスキンケアや化粧をしている様子をSNSにアップする女の子たちが羨ましくも妬ましい。

「お化粧ちゃんとしててすごいなぁ~、私なんてお化粧全然わからなくて~」と言ってしまうのはマウントというより自己防衛。わからなくて何もやっていないから私を比べたり攻撃したりしないでという腹見せで、戦争と努力の放棄と引き換えに自分を守っている。

そうやって一生懸命に目を背けているのに、百貨店のコスメコーナーは私の決死の防衛すらいとも簡単にスパークさせ、自意識と羞恥が爆発を起こす。他人から見れば何をそんなにと思うことかもしれない。けれど、私にとっては生活に支障を来たすほどの一大事だ。然して私は百貨店のコスメコーナーを目の敵にし、疎んで避けてきた。

そんなこんなで、私はかわいいガールからの誘いを二つ返事で受けられなかった。だけど、彼女となら行ってみてもいい気がした。その後、「百貨店は怖い」だの「だけどあなたとなら行ってみたい」だの弱音を延々まき散らした挙句、その2週間後、私はかわいいガールと百貨店のコスメコーナーにいた。

憧れ戦争、迎え撃ってピリオド

おはようと手を挙げた私はできる限りの完全防備。いつもより粉を多めにはたいて、目尻のラインを強めに引いて。戦意OK、武装OK、カードOK、特攻可能。私は人でも殺しに行くような気持ちで肩をいからせて白くて明るい百貨店の中をかわいいガールと恐る恐る進んでいく。

緊張する。だけれど、今日は大丈夫。粉多め、目尻のライン強め、おまけに隣にかわいいガール。今日だけは強気。「お試しになりますか」の声かけに二つ返事で頷く。

椅子に腰かけて顔を見合わせる。彼女は少し緊張しているのかなと思う表情だったけれど、鏡に映った私の顔は同じかもっとそんな顔をしていた。グロスを施される彼女に見惚れる。マッチの火でも灯したように顔全体が華やぎ、白い肌が陶器のようにつるりと際立つ。かわいいガールはもともとかわいいが、なんだかちょっと別人みたいだ。

私はうわごとみたいに、めちゃくちゃかわいいと繰り返し呟く。唇を使えない彼女は目をほんの少し細める。私はめちゃくちゃかわいいと繰り返し呟く。

今度は私の番。美容部員さんの顔が近づいて何か顔にアラがあったらどうしようと変な汗をかく。あまりに緊張して、彼女に視線を送ると「大丈夫」という感じで視線を送り返してくれたような気がした。だんだんと肩の力が抜けて汗がひいてくる。私たちは同志。

「できましたよ〜」

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そう言われて鏡を覗き込むと、いつもよりもちょっとだけよく見える私がいた。加工アプリを使ったときみたいに見栄えがパーンとよくなるわけではなかったけれど、明らかにいつもよりちょっとだけよかった。いつもよりちょっと強そうで、いつもよりちょっと堂々としていた。顔の造形が変わっていないのによく見えるのは不思議だなと思った。私たちはそれぞれに気に入ったアイテムを買った。レジに行くのももう怖くなかった。

試したグロスがたまたま同じボルドーだったので、私たちはおそろいの唇の色をしていた。半径1mが発光しているような気持ちになり、渋谷のスクランブル交差点がランウェイに見える。あの日の私たちは、最強で最高だった。

憧れを憧れのままにするのをやめたい

憧れに向き合うのは怖い。手の届かないものだということにして、神棚に飾って崇め奉り、「美しい美しいいつか手に入れたい」と拝んでおけば楽だ。敬意を表しておけば、努力を割愛しても攻撃されないし、傷つくこともない。

だけど、そうやって目をそらしてきた憧れはことあるごとにチクリチクリと胸を刺し、ひと刺しごとに私を弱くし、いつしかただただ美しかったものが恐怖の対象に変わっていってしまう。

相も変わらず美容やファッションといったものに自信はない。けれど、怖いものはないほうがいいなと思う。だから、憧れを憧れのままにしておくのはできるだけやめたい。神棚の上の崇高なものでなく、身近で愛でられるものを増やしていきたい。

この間、かわいいガールとランジェリーショップに行って、顔から出る蒸気を手でおさえながら、パステルカラーあるいはビビッドカラーの鮮やかなレースが施された下着を見て回った。

「きっとこれが似合うと思うよ」

ガールが持ってきてくれたのは赤と黒のチャイナ風なデザインで、あてがってみると確かに似合いそうだなと思った。値段があまりに高かったので、結局下着は買えなかったけれど「また来ます」と言って、2人で店を出た。

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