今週のさそり座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
自分の割りきれなさを遊ぶ
今週のさそり座は、机からスーっと足を伸ばしていくような星回り。
自然に存在するものを人が忠実に表現しようとするとき、そこには必ず過剰なまでの余剰部分が生じます。例えば、「丸い」ということを表すためには、円周率の小数点以下に永遠に割り切れないまま数を羅列させ続けねばなりません(有理数ではなく無理数になる)。
それは人間の中に巣食う自己中心的で破壊的な、無明へと閉じていこうとする流れへの抵抗であり、そうした抵抗によってなんとか確保された余剰部分こそが、進化や創造をもたらしていく訳です。これがもし円周率を“3”で表現してしまったら、世界はその美しさを半減させ、人々の想像力は急速に退化するでしょう。
自らをまだまだ予測不可能で、創造の過程にあるものにしていきたいなら、円周率が割り切れない数字を打ち続けるように、過剰なまでに余剰部分を作り込むこと。今週さそり座に何か伝えることがあるとするなら、ただただその一点に尽きるでしょう。
今週のいて座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
感受性の古層を掘り起こす
今週のいて座は、古いやり方に親しんでいこうとするような星回り。
『デサナ』という本の副題には「アマゾンの性と宗教のシンボリズム」とあり、古代人特有のセクシャルな想像力やアナロジー(類比)の能力が縦横に展開されている様子が伝えられています。イエス・キリストもまたしばしば魚について言及し、「真理を生むもの」という比喩をあらわすためにそう表現した訳ですが、この本においては「魚をとりに行った」というのは交合の意味でしょう。
先住民というのは人類の初期能力を保存している人々。彼らは性エネルギーこそが、人間の世界と動物の世界ひいては宇宙の世界を貫いて流れている共通言語であることを知っており、だからこそ豊穣への祈願を行う際には必ず性的な符合がそこに使われたのです。
今週のあなたもまた、合理主義や進歩史観など近代人的な思考の枠組みから、少しだけでもはみ出していくことがテーマとなっていきそうです。
今週のやぎ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
ひそかな幸福
今週のやぎ座は、これまでの人生がひとつの感慨に収斂していくような星回り。
それはまるで「大方の月をもめでし七十二」(任口)という句のよう。これまでさまざまな月を眺めてきたけれど、それは月の形だけを言っているのではなく、まさに私という人間が生きた現実そのものであった。その意味で、世の中のこともほぼ見尽くしたといっても過言ではないかもしれないと詠まれています。
「七十二」とは、干支を六巡した長老にあたる年齢であり、また二十四節気をさらに約5日ずつの3つに分けた七十二候の数字でもあります。作者は実際には五十四の歳で亡くなっているので、掲句は実際にその年齢に立った体験を詠んだものというより、ある種の感慨を象徴的に表したものでしょう。
今週のあなたもまた、これまでの自分の人生を振り返りつつ、それらを心から祝福するための言葉を紡いでいきたいところです。