今週のさそり座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
大元から始める
今週のさそり座は、文様がデザインに、文字が言葉になっていく過程をみずから再現していこうとするような星回り。
人間は他の動物と比べても圧倒的に力も弱く、また体を覆う体毛もほとんどない、非常に脆くはかない存在ですが、そんな人間が外的から身を守るために必要としたのが“人工の皮膚”であり文身、すなわち入れ墨/刺青でした。
日本では「アヤ」と呼ばれ、その最も単純な原型が「×」で、線条が斜めに交錯しているさまのこと。それは増殖して綾となり、文様となり、姿を変えて文字となっていきました。「×」が潜む文字には「産」や「彦」や「顔」があり、「産」はムスと読んで、額に×をつけた魂が充実することをムスビと言いました。そしてやがて男をムスコと言い、女をムスメと言い、それらが一緒になることを「結ばれる」と言ったのです。
そうして「文」が成長するとそれは「文化」となり、そこでアヤは運動会で行われる綱引きや、冠婚葬祭時に使われる水引、相撲の横綱の土俵入りなどへと転じてきたのではないでしょうか。あなたもまた、みずからの手でひとつの文化の大元を作っていくことがテーマとなっていきそうです。
今週のいて座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
避けられないものと向きあう
今週のいて座は、誰かを救うことで自分もまた救われていくような星回り。
「魔事なくて納経すみし花の昼」(名和三幹竹)の「魔事」とは仏教語で、悪魔の行う事がらのことで、仏道の妨げになることやもの。「納経」は経文を写して寺社に納めること。掲句の場合は、縁ある人の遺骨を墓所に納めて、供養のための誦経をすませたことを指しているようです。
つまり、親しかった人が今年の花を楽しめなかったことを悲しみつつも、その死に際して、僧としてできる限りのことを尽くしたことに満足しているのでしょう。桜の花が満開の昼。作者は僧として、まさにその「花」に魔を感じ取ってもいる訳ですが、これは昔から桜の花が咲く頃には、悪霊が跳梁すると言われていたことも関係しているように思います。
いずれにせよ、作者のように魔をしりぞけるには「誰かのため」に動くことこそが最も肝要なのかも知れません。あなたもまた、普段は遠ざけようとしているしがらみを、むしろ積極的に肯定していく中で見えてくるものがあるはず。
今週のやぎ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
ころころと、どこまでも
今週のやぎ座は、これはと感じたものの実体に直接触れていこうとするような星回り。
原朔太郎の「春の実体」という詩は、良くも悪くも詩歌にあらわされてきた伝統的な桜のイメージを一変させてしまった作品の筆頭と言えます。
さながら印象派の画家スーラの光に満ちた点描画のようですが、その実体が「虫けらの卵」であるという触覚的な描写にこそ、朔太郎の独創があるのではないでしょうか。
詩の末尾の「よくよく指のさきでつついてみたまへ、/春といふものの実体がおよそこのへんにある」という一節などは、そのまま今週のやぎ座の人たちへの呼びかけのようにも感じられます。あなたもまた、ただ見ているだけではなく、直接触れたり、働きかけていくことを大切にしていきたいところです。