今週のさそり座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
しずかに暮らすということ
今週のさそり座は、こころの据わりをただしていくような星回り。
「帰家穏坐」といえば、普通はわが家に帰ってそこに大悟の安息を見出すという意味で使われる禅語なのですが、俳人の種田山頭火はこれをさらに徹底して、自分の故郷はもちろんのこと、わが家さえも捨てたところにこそ「ほんとうの故郷」があると考えました。
「自性を徹見して本地の風光に帰入する、この境地を禅門では「帰家穏坐」と形容する。ここまで到達しなければ、ほんとうの故郷、ほんとうの人間、ほんとうの自分は見出せない。
自分自身にたちかえる、ここから新しい第一歩を踏み出さなければならない。そして歩み続けなければならない」(『山頭火随筆集』)
これは短いエッセイ「故郷」の中の一節なのですが、ここで彼は「近代人は故郷を失いつつある」という認識に立って、「ほんとうの故郷」は「心の故郷」にあるという仕方で、いわば故郷を昇華したのです。あなたもまた、自分が立ち返るべきホームの再設定ということがテーマとなっていきそうです。
今週のいて座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
こみあげるイマージュ
今週のいて座は、境界線の上で感覚と研ぎ澄ませていくような星回り。
「風立ちて月光の坂ひらひらす」(大野林火)は、新居へ引っ越した際に詠まれた一句。ある月夜の晩、不意に坂に風が立った。すると、坂が、白く細長い薄布のようにひらひらとはためくように感じたのだという。月の光というのは、ときにこうした感覚の冴えをもたらしますが、「坂」というロケーションがまた心憎い。
坂とはさかい=境であり、あちらとこちらを分割する仕切り線であると同時に、時に生者の世界と死者の世界をへだてる境界でもあり、そのたもとは、かつては妖怪や怨霊たちが跳梁すると信じられていた魔性の空間でもありました。
掲句を一読して、どこか艶が感じられるのは、月の光とともにひたすらのっぺりと明るい均質感に浸されるようになった近代世界が、にわかにその本来の魔性やカオスや闇を取り戻したからかも知れません。あなたも、さながら魔性のものとなったつもりで都市の境い目をふらついてみるといいでしょう。
今週のやぎ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
選ばれるんじゃなくて、選ぶんだよ。
今週のやぎ座は、自分を包んでいる何か大いなるものに身を委ねて、お任せするような星回り。
名門ブルーノート・ニューヨークに、日本人ヴォーカリストとして初めて出演したヴォーカリストの鈴木重子さんが、インタビューの中で面白いことを言っていました。彼女は東大卒の秀才としても知られ、少女時代は勉強に明け暮れる日々だったそう。
「私は毎日、明日のために生きていた。明日の試験のために勉強する。明日の何かのためにこれをやる。でも先生たちは、いま音楽をやっているのが幸せと言っておられた。その違いって大きい。こんなに充実して、こんなに生き生きしている人がいるとは思ってもみなかった。それまで私は、今日やりたいことをやって、明日どうするんだろうって思ってたんですよ。「今日やりたいことをやるとハッピーだから、明日もやりたいことができる」っていう循環について考えたことがなかったんですね。それを気付かせてくれたのがこの二人だった」(「weekendインタビュー―MSNピープル」)
彼女はこうして「今後の抱負を考えるより、その日のこと、今この瞬間のことを大事にする生き方」を体得したそうですが、これはアリとキリギリスの寓話のキリギリスのようなその日暮らし的な刹那主義と一見すると似ていますが、実際にはまったく異なります。あなたもまた、この瞬間、瞬間を大切に生きていくなかで、自然に自分のところにやってくるものを受け止めていくべし。