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[8/30〜9/5の運勢]9月1週目の運勢はどうなる?SUGARさんが贈る12星座占いをチェック!

占い

今週のかに座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

水底にたたずむ

今週のかに座は、ただシーンとしてそのへんに佇んでいるような星回り。

「これ以上澄みなば水の傷つかむ」(上田五千石)の中に登場する「水澄む」とは、秋の季語。実際季節が秋に変わってくると、夏よりも水が澄んでくるように感じられるのですが、それは秋になると空が高く広く透き通ってくるのと呼応しているのでしょう。

掲句においてもまた、作者の前にはよく澄んだ水がある。ただ、具体的には明示されていおらず、それどころか、「傷つかむ」と普通は水に使わないような表現さえ出てきます。そうすると、目の前にあるのはこれ以上ないほどに透き通っているか、直接触れてはいけないほどに神聖であるか、そうでなければ、こちらから必要以上に働きかけてはならないくらいに繊細な人間が目の前にあるかの、いずれかであるはず。

つまり、ここでは季節の移ろいと人間の内面が直接つながっている訳ですが、この目の前の人間とは、もしかしたら作者自身のことなのかも知れません。あなたもまた、特別大げさなことをしようとするのでなく、何気ないゆらぎのなかで自身の繊細な部分を整えてみるべし。

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今週のしし座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

近代合理主義の克服

今週のしし座は、複雑なこの世界をその本来の複雑さのまま把握し、示していこうとするような星回り。

哲学は世界記述の新しいジャンルであり、詩のようなものだと考えた数学者で哲学者のアルフレッド・ノース・ホワイトヘッド(1861~1947)は、彼自身こよなく愛したイギリスの大詩人ワーズワースについて、次のように書いています。

「もちろん、誰も疑わないことだが、ワーズワースは、ある意味では、生物が無生物と異なることは認めてはいる。しかし、それは、かれの眼目ではない。ワーズワースの念頭にあるのは、丘にたれこめる霊気である。かれのテーマは、全体相の自然だ。すなわち、われわれが個体とみなすどんなばらばらの要素にも刻印されている、周囲の事物の神秘的な姿を強調するのだ。かれは、個々の事例の色調にふくまれた自然の全体をいつも把握する。」(『科学と近代世界』)

私たちが住んでいるのは、信じられないくらい複雑で錯綜した世界なのであって、他のものと無関係に独立している訳ではなく、まずはじめに「なんだか分からないけれど、ここで自分も、とめどなく複雑な何かに関係している」という感覚的把握があるのでは。対象と自分を切り離して分析する自然科学的なものの見方を超えられるか、いかにそれを示せるかということがテーマとなっていきそうです。

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今週のおとめ座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

未来に戻る

今週のおとめ座は、時間をかけるべき事柄と時間のかけ方とを、丁寧に洗練させていくべし。

「次の間へ湯を飲みに立つ夜長かな」(岡本癖三酔)は、無内容に近い一句。だがそれがいい。江戸や明治くらいまでの俳句には、一句のうちに過剰に要素を詰め込まず、ひとつの対象や要素をじっくりと味わう独特の時間の流れを感じさせるものが多いですが、ここでも過剰な感情は控えられ、ただ平易な言葉が並べられているのみ。

「次の間へ」「立つ」とありますから、夕食後ずっと坐って読者か執筆に入れ込んでいたのでしょう。不意に渇きを覚えて、のどを湿らせに行く。飲むものも特別なものではありませんが、水ではなく、温かい「湯」であるところに、空気の冷えを感じさせます。

そして、次の間までのほんの少しの移動に十二音をかけたことが、かえって「夜の長さ」とその静けさとを際立たせるのです。あなたもまた、時間をかけて丁寧に取り組んでいくということの極意を、作者のように上手に取り込んでみるといいでしょう。

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今週のてんびん座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

差異と反復

今週のてんびん座は、かすかな差異が生じるところから、豊かさが宿っていくような星回り。

例えば、舞台演劇やミニシアター系映画の冒頭部などには、「あの」という呼びかけとそれに対する「え」という反応から始まるシーンが時たま見られる。「え」という反応は、すぐに「えき?」という単語にスライドし、「分かりますか?」という交流に変わる。そうして幾度かやり取りをくりかえし、道案内までたどり着くと、当初の不安げな危うい雰囲気はサッと消えてしまう。またもとの閉じた日常へと戻ってしまう。その、少しホッとするような、どこか残念なような、切ない気持ち。

あれは何だろうか。何かはっきりとした課題やテーマがある訳ではない。ただそこに感じられるのは、かすかな喪失の手触りと、あり得たかもしれない、しかし、実際にはあり得なかった可能性へのうっするらとした悲しみだろう。

誰かと交わす言葉の反復と変奏には、単純な発語から取り出される無限の可能性と、閉じた日常が開かれていく可能世界の響きがつねに孕まれているのだ。あなたも、そんな心当たりから少しだけ自分の日常を開いていくことになるはず。

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