今週のさそり座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
夕闇はすべてを溶かしこむ
今週のさそり座は、ひとつの終わりをやさしく包んでいくような星回り。
「蜩(ひぐらし)のなき代わりしははるかかな」(中村草田男)という句では、初秋のよく晴れた日の夕暮れに、森でひぐらしが鳴き継いでいるのでしょう。よく鳴いていたひぐらしが鳴き終わると、それを察知して、また別のひぐらしが鳴き始める。そのひぐらしは、かなり遠くの方で鳴いているというのです。
もしかしたら、ひぐらしにとって森が完全に沈黙のなかに没してしまうことは、ひぐらし自体の死滅であり、秋の深まりと結びついているのかも知れません。彼らは本能的にそれを感じ取って、誰かの鳴き終わりを察知すると、自身に残された力を振り絞り、まだ死んでいない、自分たちは、夏と秋が交差する繊細で特別なひとときは、まだ生きているのだと示してくれている。と、そんな風に解釈することもできるのではないでしょうか。
あなたもまた、はるかな距離を隔てたひぐらしの交感のようなやり取りのなかで、自身を取り巻く流れが変わりつつあることを実感していくはず。
今週のいて座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
美しい野獣であれ
今週のいて座は、難しいことを分かりやすく説明した時に、どうしても抜け落ちてしまうものをこそ大切にしていこうとするような星回り。
世界的な大数学者である岡潔と、日本を代表する批評家である小林秀雄のあいだで交わされた対談集『人間の建設』の「人間と人生への無知」という章のなかに、次のようなやり取りがあります。
岡「…時というものがなぜあるのか、どこからくるのか、ということは、まことに不思議ですが、強いて分類すれば、時間は情緒に近いのです。」
小林「アウグスチヌスが『コンフェッション(懺悔録)』のなかで、時というものを説明しろといったらおれは知らないと言う、説明しなくてもいいというなら、おれは知っていると言うと書いていますね。」
岡「そうですか。かなり深く自分というものを掘り下げておりますね。時というものは、生きるという言葉の内容のほとんど全部を説明しているのですね。」
注目すべきは「説明」と「知らない」いう言葉の使い方であり、おいそれと人に説明することなんかできないという境地をきちんと大事にしているかどうかを、岡が「かなり深く自分というものを掘り下げて」いるという風に捉えている点です。あなたもまた、本当に危ないこと、知っておくべきことを再確認していくような星回り。
今週のやぎ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
秋風と世界霊魂
今週のやぎ座は、身をすすぎ、さまざまな垢を払い落していこうとするような星回り。
「秋風に殺すと来たる人もがな」(原石鼎)は、大正三年の句。掲句をそのまま現代語に直せば、「秋風が吹きすさぶなか、(自分を)殺すために来る人がいたらいいなあ」ということになります。一体作者はどういう心境で、このような句を詠んだのか。前書きには「瞑目して時に感あり、眼を開けば更に感あり 二句」とあり、もう一句は「わが庵(いお)に火かけて見むや秋の風」。
当時作者は、宿宿先の寺の住職のご夫人と恋愛関係となって駆け落ちし、同じ鳥取県の別の町に移り住んでいたのですが、この句に込められた激しさは、寺の和尚や夫人との関係に起因するというより、そもそも医師の家に生まれながら度重なる受験失敗や落第でついに医者になりきれず、放浪に身をやつした自分自身へのやりきれなさの方に、根があるように感じます。
涼しさを運んでくる秋風は、植物に枯れを、小動物には死をもたらす、大いなる自然の霊力の作用を象徴しますが、作者はそこに自分に必要なものを見出していたのでしょう。あなたもまた、清めるべきおのれの一部をしかと見定めていくべし。