右から、浜田あゆみさん、お祖母さん、お母さん
写真:ジョニー・ニームさん
一方で、あゆみさんは家業を継ぐことは考えたこともありませんでした。高校を卒業すると、カナダ西海岸にあるヴィクトリア大学の演劇科へ留学。卒業後は東京で役者として鍛錬する日々が続きました。そんな矢先の2015年、祖父が体調を崩し倒れたため帰郷。そこで目の当たりにした地元の製紙産業の衰退ぶりに衝撃を受けます。
同じ頃、高知で演劇をしないかと誘われ、家業を手伝いながら地元に残ることを決意。安い海外産の原料で和紙がつくられている現状への葛藤をパフォーマンスに落とし込み、発表していきます。
和紙をテーマにしたパフォーマンスをする浜田あゆみさん(右から2番目)
写真提供:浜田あゆみさん
そして、2018年の暮れに起こった出来事が、鹿敷製紙のあり方に一石を投じました。高齢化などで地元産原料が減り続けるなか、長年楮(こうぞ)の仕入れ先だった老夫婦が手首を痛め、これ以上生産を続けられない状況に追い込まれてしまったのです。
もともとこの地域では、原料を扱う「農家」と紙を漉く「紙漉き」の分業制で和紙がつくられてきました。農家は楮や三椏(みつまた)を栽培・収穫し、蒸して皮を剥ぎ、乾燥した状態で紙漉きに納品します。あゆみさんの家族は、鹿敷製紙を創業するずっと前から紙漉きを専門に行い、農家の方から原料を購入していました。
「もう楮の原木を捨てるしかない。誰かやってみないか?」と楮農家のご夫婦から持ちかけられたものの、「紙漉きが原料を扱うなんて!」と家族は大反対。しかし、「このままでは遅かれ早かれ地元産の原料が手に入らなくなることは目に見えていたから」と、母の反対を押し切って楮の収穫と加工に着手します。
山の斜面に植えられた楮を株元から収穫していく
写真:ジョニー・ニームさん
蒸して皮を剥いだ楮を乾かしている
Mizuho Ota
ちょうどその頃、住食と農作業などの労働を交換するプラットフォーム、WWOOF(ウーフ)の存在を友人から教えてもらい、早速、原料加工を手伝ってもらうために登録すると、手伝いたいという人が次々と現れました。
こうした話を聞きつけ、あゆみさんの元には高齢の農家さんから頻繁に収穫や加工の相談が寄せられるように。丹精込めて育てた楮をできる限り残したい農家さんの思いと、地元産の原料を安定的に仕入れたい鹿敷製紙の願いが一致し、それをつなぎとめるだけの人手を確保できる体制も整いました。
蒸した楮の皮を剥ぐ作業は、海外からの旅行者や地元の人たちが手伝いにきてくれる
Mizuho Ota
さらに、アーティストが数週間自宅に滞在して作品をつくる「アーティスト・イン・レジデンス」のホストも開始。2023年2月上旬には、和紙を使って版画や衣服を作るカナダ人アーティストのアレクサ・ハタナカさんと、ドキュメンタリーを撮影中の映像ディレクター、ジョニー・ニームさんが滞在し、作品を通じて和紙を世界に発信しています。
「高知に帰ってきてから、色々なことがびっくりするようなタイミングで起こり続けたんです」。最初は反対していた家族も、今では応援してくれる存在に。「紙漉きはお兄ちゃんが、原料は私が担当しています」と語るあゆみさんの強い眼差しが印象的でした。
楽な方法では同じ品質にならない
鹿敷製紙から北西に約30キロ。片岡あかりさんが4代目を務める尾崎製紙所は、細く、曲がりくねった急坂をいくつも登った、峠の近くにあります。古くは、近くを走る松山街道を使って商売を営んでいましたが、1930(昭和5)年からこの地で紙づくりをはじめました。
斜面に張り付くように建つ尾崎製紙所。右上には収穫後の楮畑、中央に見えるのが水を貯める「さな」
Mizuho Ota
あかりさんたちは、この地で伝統的な方法を守りながら原料の栽培から加工、紙漉きまで家族総出で行ってきました。工場の周りの斜面には楮や三椏が植えられ、少し下ったところには、山から引いた水を貯められる「さな」。家の裏には、楮を蒸すのに使う、昔ながらの甑(こしき)があります。
訪れた日は、楮を蒸して皮を剥ぎ、黒い部分をそぎ落として消石灰で煮た白皮がさなに並べられていました。水に晒すことで灰汁をぬき、日光にあてて漂白する伝統的な工程です。竹を組んだ上に綺麗に並ぶその様子は幻想的で、心を打つものでした。
さなの中で水にさらされる楮の白皮。表を3日、裏を2日、日光にさらすことで白くなる
Mizuho Ota
「伝統的な方法に特にこだわっているわけではないんです。やっぱり大変だから、楽な方法を試してみたりもしたんですけど、同じ品質の紙ができなかった。それで、今でも昔ながらの方法で作っているんです」
片岡あかりさん(中央)は3人姉妹の真ん中。小さい頃から、紙漉きは自分が継ぐと宣言していたそう
写真提供:片岡あかりさん
あかりさんが漉くのは「土佐清帳紙」。耐久性に優れているため、記録用や書道、版画に使われています。一番大きいものは63×183cm(2尺×6尺)にもなり、これを全て手で漉くのはとてつもない体力仕事であることがうかがえます。
紙を漉く片岡あかりさん
写真提供:片岡あかりさん
「体幹にぐっと力を入れて、集中して作業するんです。紙漉きはちょっとアスリートと似てるかもしれませんね」と笑う姿から、紙漉きへの情熱と愛情が伝わってきます。
紙漉きを本格的に継いだ直後は、つくった紙を問屋さんに卸せばそこで終わり。しかしある時、取引のある卸問屋さんが尾崎製紙所の土佐清帳紙を使っているイヌイットのアーティスト、ケノジュアク・アシェバックさんを紹介してくれたことで、「こんなすごいアーティストが自分たちの紙を使って作品をつくってくれているんだ」と嬉しくなり、紙づくりとの向き合い方が変わっていきました。
片岡あかりさんが運営するアトリエ・ショップ「Kaji-House」には、あかりさんの紙を使ったアーティストの作品がたくさん飾られている。写真は、ケノジュアク・アシェバックさんの版画
Mizuho Ota
この時の感動を、「大きくなったら紙漉きになる!」と宣言する9歳の娘さんにも体験してほしい。使ってくれる人の顔を思い浮かべながら紙を漉いてほしいからーー。そう語るあかりさんは、自分たちの紙を使った作品に触れる機会をできるだけ多くつくるようにしています。