今週のさそり座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
“ふつう”をめぐるシャドーワーク
今週のさそり座は、何気なくもたらされた「当たり前」に尊さを見出していくような星回り。
『ふつうの日ふつうのうぐひす餅の粉』(岡田一実)という句のごとし。掲句は、花見というより、どこかへ郊外の山地へハイキングにでも出かけた際に詠まれたものだろう。
日頃コンクリートのビルやアスファルトに取り囲まれているときには感じえなかった季節の移ろいが、少し遅れて体感されてきた。掲句からは、どこかそんな実感のうごめきが感じられる。
あなたもまた、自分がきっと最後に行き着くべき「ふつう」を垣間見ていくことができるかも知れない。
今週のいて座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
器に徹する
今週のいて座は、慄きつつもほっとするような感覚を通じて、言葉を紡いでいこうとするような星回り。
困難な状況にある人にただ単に「がんばれ」と言い続けてしまうのは、言葉をかける側が想像力を失い、本来かけるべき言葉を見失っているからですが、では、そんな時私たちは一体どうすればいいのか。
近代日本思想を専門とする中島岳志は、何かを話しているときに慄くときの感覚について「喉元に死者がいる」という言い方をしているのですが、慄くとともに「少しほっとする」のだとも言います。それは、自分がひとり単独の存在ではなく、死者や過去と言葉を通じてつながり、ともに生きていることを感じられたからでしょう。
あなたもまた、ふとしたときの言葉のあり方を通じて、そうした「喉元に死者がいる」ということや、死者が紡いだ言葉を宿す器になるということがいかに可能なのか、ということがテーマとなっていくでしょう。
今週のやぎ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
揺らぎの中で立ち現れるもの
今週のやぎ座は、合わせ鏡のなかでちらりと真実を垣間見ていくような星回り。
『蝶われをばけものとみて過ぎゆけり』(宗田安正)という句のごとし。俳句で蝶は、明るくのどかな景色の一部として客観的に詠まれることがほとんど。ところが、掲句では蝶の側に立ってそこで主観的に捉えられた「われ」のイメージが詠われています。
いわく、突然あらわれた人間の「われ」は「ばけもの」のようであると。それは、有効視野が150度ほどと言われるヒトとは異なる、360度に近い視野をもつ複眼という“別の仕方で”でとらえた、真実なのかも知れません。
あなたもまた、そうした自分が向きあっていかねばならない真実をつまびらかにするための手鏡のごとき存在に、どこまで力を借りることができるかが問われていきそうです。