じゃあどうするかって「わたしは毎日洗いたいから、わたしがバスタオルを洗う係になるね」となった。
どちらかというと、わたしはいろいろなことにこだわりが強いほう。価値観を合わせるときには、想いの強いほう、こだわりが多いほうにどうしても合わせていく方向になる。
エマちゃんは価値観を押し通して、夫はそれを受け入れる。
そうなると受け入れるだけの夫はストレスが発生するよね。
だから価値観を押し通すほうは、妥協してくれる相手への対応が大事。
その対応としてのひとつは、価値観を押し通すことで発生する労力を負担すること。
だからタオルを洗うのはわたし。
「あなたも洗ってよ!!」とは押しつけないのがお約束。
わたしが「タオル洗うのめちゃくちゃしんどい!」となるならば、タオルを何回か使って洗うほうに、折れる。
「価値観も押しつけられて、労力も押しつける」は不公平。
価値観を押しつけるなら労力は買う。それが、わたしが自分に課しているルールです。
それでも価値観を譲れなかったら
それ以外の価値観の違いも、もちろんありますね。
住む家について「俺は○○街に住みたい!」「わたしは○○駅の近くがいい!」と分かれたとしましょう。
そういうときはプレゼン大会。それぞれのお試し期間を設けるのもいいと思う。
候補の街に行って何回かデートしたり。
それでもお互い折れることができなければ、もはや別居でいいと思う。
必ずしも価値観は合わせなきゃいけないものではないのです。
「“あなたは”そういう価値観を持ってるのね! わたしは違うけど、尊重します」スタイル。
尊重するときは小言も言わない。否定的にもならない。完全に受け入れる。
そうすべきときは必ずあり、お互いさまなのです。
お互いの価値観で「共存する方法」を考える
自分を育ててくれた親であっても、価値観なんて簡単に違ってくる。
だから、価値観は自然に合うだとか、合わせるべきだとか思わないほうが、逆に自然。
下手に愛の力で乗り切ろうとしないでほしい。
価値観が合わないときには、否定せず合わせずに、共存する方法を考える。そういう話し合いができるパートナーは強いよね。
とはいえ、それでもわたしは夫婦で一致していたい価値観がある。
それは「お互いを第一に考え、その関係を維持していくこと」。