今週のさそり座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
頭打ち状態にどう臨む?
今週のさそり座は、光の当たらない闇の側に立って動いていこうとするような星回り。
昔話「食わず女房」に登場するのは、人には何もくれたくない欲たがりの男。彼は飯を食わずによく働くという女と出会い、女房にします。ただ米が異常に減ることを不思議に思った男が女房をのぞいてみると、大食いの鬼女に変化したのです。男が離縁を告げると、今度は女房が男を食おうとして、男は命からがら逃げだす、というのが主なあらすじ。
文芸評論家の馬場あき子は『鬼の研究』のなかで、「おそらくは人との交わりを求めて飯を食わぬという過酷な条件に堪えて」山姥があえて異類である人間の男に嫁いできたことに着目。「頭頂に口があったという荒唐無稽な発想は、民話的ニュアンスのなかで、山母が常人との交わりの叶わぬ世界の人であることを匂わせたものであろう。むしろ山母が常人との交わりを求めるために果たした努力のあとが語られていて哀れである」と述べていました。
つまり「食わず女房」は最初から男を喰らうことを狙っていたのではなく、男が自分の正体に気づいたときに、初めて男を食べる対象に変換させたのであり、それは身勝手な要求を突きつける人間を相対化する絶対的な他者としての、自然の象徴だったのでは。あなたも、誰か何かを通して無理や無茶と真っ向からぶつかりあっていくことになるでしょう。
今週のいて座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
新呼吸
今週のいて座は、一服の清涼剤が心中に広がっていくような星回り。
「春尽きて山みな甲斐に走りけり」(前田普羅)は、大正時代に詠まれた句。春を惜しむという、甘やかに流れやすい感傷を越えて、初夏へと向かう季節の勢いにそのまま乗って走り抜けていくような雄渾な風を感じさせます。
個人的にも記憶があるのですが、この季節に北アルプスの山々を縦走していると、確かに青葉若葉を引き連れて、動かぬはずの山が一心に走っていくように見えるものです。ああ、その颯爽とした疾走感。
この場合、自然とともに歩むことで癒されるというより、どこか自然の後を追って思わず小走りになりながら心躍っているうちに、いつの間にか気持ちが晴れて世間のしがらみがほどけている、と言った方が近いように思います。あなたもまた、自分なりの足どりで心健やかでいられる方へと歩みを重ねていくべし。
今週のやぎ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
くるくるくるくる
今週のやぎ座は、すこし頭がおかしくなっていくような星回り。
島尾敏雄の小説『死の棘』は、夫の不倫が妻にばれたところから始まるのですが、ただの痴話喧嘩などでは済まず、奥さんはその事実によって精神に異常をきたしてしまい、ひたすらに夫を責めるのです。というか、攻撃する。そして夫はひたすらに耐え忍ぶのみ。言ってしまえばそれだけの小説なんです。
しかも話がすすむにつれて主人公であるはずの夫も頭がおかしくなっていくのですが、病んだ描写や言葉のやりとりも、それが続き過ぎるとそれはそれでおもしろおかしくなってくるから不思議です。
「ただじぶんがわからなくなったんです。あなたはあたしが好きなのかしら。それがわからないの。ほんとうはきらいなんでしょ、きらいならきらいとはっきりおっしゃってください。蛇のなまごろしのようにされているのはあたしたまらない」あなたもまた、知らず知らずのうちにヘンな関わりに巻き込まれていくことになるかも知れません。