今週のかに座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
真実一路
今週のかに座は、カオス(自然)に取り囲まれたコスモス(生命)。
「女陰の中に男ほろびて入りゆけり」(堀井春一郎)という句は、まず「ほろびて」の一語が切ない。人間は誰しも「女陰」より生まれ、「女陰」へと帰っていく。けれど一度そこから出てきてしまえば、そう簡単には帰れないのがこの世の定め。
だからこそ、男はそこに執着もすれば、狂いもする。人一倍の働き者にもなれば、女にしがみついて早死にする者さえいる。どれが高等で、どれが劣っているなんてことはないのだ。彼らはみなそれぞれの仕方で女陰に戻らんと「ほろびて」いっただけ。
作者の場合は、たまたまそのうちの最後になってしまった訳ですが、それを悲劇と呼ぶか喜劇と呼ぶかは距離感の取り方次第であって、いずれにせよ、作者はただそこへ突っ込むだけの男根の愚かしさのほどを、身に沁みて分かっていたはず。あなたもまた、いずれは滅びゆく身として、それゆえにこそ一心に美と秩序とを求めていきたいところ。
今週のしし座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
仙人になるということ
今週のしし座は、理想的な生き方におのれを近づけていくような星回り。
種田山頭火の「俳句の理想は俳句の滅亡である」という言葉は、明治44年(1911)に雑誌に寄稿された『夜長ノート』からの一節。作者が同時代の俳人と一線を画していたのは、こうした自身の文学理念をそのまま流浪の生活としても実践した点でした。
仏教に「捨身(しゃしん)」という言葉がありますが、実際に仏門に入った彼を支配していたのはそうした「捨て身」の精神であり、どこで野垂れ死にしようが頓着しないという風狂の美学であり、彼に妻子があったことを思うとその徹底ぶりは尋常でなかったことが少しは伺われるはず。
つまり、室町時代の怪僧・一休を思わせるそうした時代を超えた風狂性と、伝統に反旗を翻すモダンなアヴァンギャルド精神の稀有な融合こそが、山頭火の真骨頂だったのです。あなたも、自身がいのちを懸けてでも体現したい理想やビジョンを改めて思い出していくことがテーマとなっていくでしょう。
今週のおとめ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
雨すなわち花としての芸
今週のおとめ座は、サッと変わっていくための“てこの原理”を見つけていこうとするような星回り。
「雨つねに鮮(あたら)し森のかたつむり」(村上鞆彦)という句は、普通に読めば、雨はつねに新しいということと、森のかたつむりが目の前にいるという事実が単に並べられているだけの説明的な印象。
ただし、これを五七五の音で区切ると、中七は「鮮(あたら)し森の」となり、森もまた雨によってつねに新しくなっている、というイメージが加わり、そのしたたるほどに新鮮な森でのびのびと身体を伸ばしている「かたつむり」の姿が自然と浮かんでくるはず。
文章では説明的な事実の羅列だったものが、俳句という形式を通すことで途端にリアリティが変わってしまうというある種の魔術化のプロセスを踏んでいくという点では、掲句は今週のおとめ座と通底するところがあるように思います。あなたもまた、今の自分や現状には一体どんな魔法が必要なのか、改めて考えていきたいところです。
今週のてんびん座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
完璧であるよりも、程よくあろう
今週のてんびん座は、自分なりの「完成形」を思い描いていくような星回り。
8世紀前半、北京の宮廷内にあったアトリエ「綺絴宮(きしょうきゅう)」にて、中国人画家たちと仕事をしたイタリア人画家カスティリオーネは、東アジア特有の「百駿図」(百頭の馬の絵)を、ヨーロッパの強い陰翳法によって馬の筋肉の動きや馬飼いたちの衣装の襞も、克明に描いてみせました。
前向き、後ろ向き、横向き、足を交差させたりふんばったり、そして白、茶、灰色、ぶち、黒の色や、さまざまな方向、ポーズ、模様のバリエーションで組み合わされ、その組み合わせは、いよいよ百ぐらいの数に達していくのです。
こうした百図も、描く側に立って考えてみると、モデルは一頭の馬で十分だったろうことに思い至ります。一が百となり、百は一へ帰っていく。『百駿図』の中には「たった一個の存在の中にも全宇宙がある」というすぐれて東洋的な発想があったのです。あなたも、どこまでいったらorやったら自分は“上がり”なのかというゴール設定をいったん刻み込んでいくことがテーマとなっていくでしょう。