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[1/17〜1/23の運勢]1月4週目の運勢はどうなる?SUGARさんが贈る12星座占いをチェック!

今週のさそり座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

否定すなわち浄化

今週のさそり座は、人間は、自分はかくあるべしと規定する規範を不意にすり抜けていくような星回り。

第一次大戦中に誕生し、ほんのひと時のあいだ花開いては、慌ただしく消えていったダダイズムは、芸術運動における伝統への異議申し立ての極端な事例のひとつでしょう。その運動の中心人物であるトリスタン・ツァラが「ダダは何も意味しない。(…)ダダは体系に反対する」と断言したように、それはあくまで一貫して純粋な否定として燃え上がった破壊と劫掠の試みでした。

ちょうど「ダダ」という言葉自体が、偶然に辞書から見つけ出した「お馬さん」を意味する幼児語を意味したとされているように、その運動では文化、政治、社会など既存のすべての体制を、惰性としての因果的必然性と見なして激しく否定することで、この世と向きあう私たちの脳裏から実用性という外観をひきはがし、純粋で混じり気のない「たまたま」が生みだす驚くべき新世界へと精神をいざなおうとしたのです。

その結果、アンドレ・ブルトンが「すべてを棄てよ。ダダを棄てよ」と叫んでダダと決別したように、みずからの運動化や体系化、組織化をも否定するという流れを余儀なくされた訳ですが、こうした偶然性と自由の切っても切り離せない関係は、今もなお個人においてより深く掘り下げられていく余地がたぶんに残っているはず。あなたもまた、単なる無軌道のたぐいに出さないぎりぎりのラインで、自身を偶然にゆだねてみるといいでしょう。

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今週のいて座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

博奕と暴力

今週のいて座は、深い矛盾を抱え込みつつも、たたかい続けていこうとするような星回り。

冬枯れの山で違法の博奕を打っているところを、巡査かなにかに嗅ぎつけられて一網打尽にされた。その中には坊主も混じっておったそうな――。「冬山に僧も狩られし博奕かな」(飯田蛇笏)は、そんな昔話や小説仕立ての一句。

どんな博奕(ばくえき)であれ、博奕である以上は「必勝法」は存在しないものですが、代わりに「必敗法」と呼ばれる摩訶不思議なものが存在します。必ず負ける打ち手やプレイ方式をシステム化したものを指す訳ですが、そうして極端な奇跡でも起こらなければこうすれば負けるという選択や、条件のパターンをできるだけ学んで打ち立てた「必敗法」をすべて排除していけば、「必勝」とはならないまでも、賭け手は確率という不利を背負いながらも何とか博奕をたたかい続ける余地がうまれるのです。

そうして、どう考えても普通負けるだろう勝負でしぶとく奇跡を待ち続けることができることを俗に「博才」と呼ぶのだと思いますが、博奕というのは科学的でなければ生き残れない半面、科学的なだけではやはり生き残れない。矛盾こそが博奕の本質なのです。あなたもまた、そうしたしぶとさや勝負強さを大いに発揮していけるはず。

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今週のやぎ座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

大地に雷が落ちる

今週のやぎ座は、肩の力を抜いて、ただ誰かの器となることを自分に許していくような星回り。

グラフィックデザイナーの原研哉は、自身の創作活動において大事にしている概念として、「エンプティネス(空っぽさ)」を挙げていますが、これは人間のイマジネーションを受け入れる「創造的な器としての空っぽ」ということを言っているのだそう。

また「シンプル(シンプリシティ)」のような、1つの意図が誰にとっても分かりやすく機能やデザインに落とし込まれている状態とも違います。シンプルは、近代的合理主義と同時期に生まれた概念ですが、エンプティネスというのはもっと古くからあるもので、15世紀の室町時代にまでさかのぼる日本独自の文化的資産とも言えるかも知れません。

すなわち、余計な意図や情報をそぎ落として何もない方がいい、簡素さに伴う余白が人々の情感や情緒を受けれ入れる「ゆとり」になって、かえって豊かさを感じさせてくれるという考え方がその前提としてある訳です。あなたもまた、自分を空っぽにすることで、そこに流れ込んでくる決定的な誰かのイマジネーションを受けとっていくことがテーマとなっていくでしょう。

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