2022年に取り壊しとなった、愛知県常滑市の旧杉江製陶所。95年前に建てられた「タイル見本室」は、建築物に新しい彩りを添えるタイルのショールームとして機能していました。ここに貼られていたタイルを残したい。そんな思いで「救出プロジェクト」を率いた加藤郁美さんに、タイルの魅力についてお話を聞きました。
愛知県常滑市にあった旧杉江製陶所。ツタに覆われた八角の煙突がシンボルとなっています(2022年5月に撮影)
Mizuho Ohta
100年の歴史あるタイル
真っ青に晴れ上がった5月の空の下、門から中へ進むと、今にも朽ちそうな建物とそれに寄り添う生き生きとした緑の茂みが敷地の向こうまで続いていました。
2022年5月、「旧杉江製陶所 見学会&工場内発掘フェス」で訪れた、愛知県常滑市にある創業95年の東窯工業(旧杉江製陶所)。甕や土管、タイル、砥石など、時代に合わせてさまざまな陶器をつくり続けてきた会社です。
近々取り壊されてしまうため、タイル見本室や工場内の見学に加え、掘り起こしたものはなんでも持ち帰れるというイベントでした。
この魅惑的な見学会を率いていたのが、加藤郁美さんです。
旧杉江製陶所緊急救出プロジェクト発起人の加藤郁美さん(左)と旧杉江製陶所前社長夫人の節子さん(右)旧杉江製陶所見学会にて
林宏樹さん撮影、加藤郁美さん提供
「タイルって焼き物なんですよ。全国各地で受け継がれてきた、焼き物の伝統技術でつくられていたんです。でも同時に、大量生産されたものでもあるし、その時々の流行を反映してものすごくキッチュなものをつくったりする。そのギャップが面白いんです」
事務所としても使われていたタイル見本室には、美しいタイルのパネルが所狭しと貼られている
Mizuho Ohta
昭和3(1928)年に建てられた旧杉江製陶所の事務所兼見本室は、当時から時間が止まったままのよう。16畳半ほどの見本室の床や壁は、さまざまなタイルでできた約82cm四方のパネルで彩られていました。タイルひとつひとつのレトロな色合いやデザインに、思わず見入ってしまいます。
約30分ほどの加藤さんの解説により、それぞれの背景にある製作技術や用途、時代背景などがわかり、それまで一括りにしていた「タイル」が、ユニークな意匠を持つ作品に見えはじめました。
タイルといってもその種類はさまざまです。釉薬のかかり方や窯のどの位置で焼かれるかによってひとつひとつ表情の違う施釉の窯変タイル。釉薬をかけずに色付きの土を焼く無釉タイルは、表面が削れても見た目がさほど変わらないため、床によく使われています。表面に回転式の型で凹凸模様をつけたクリンカータイルや、荒い削り模様の美しいスクラッチタイルに、色とりどりのタイルを駆使してデザインをつくり上げるモザイクタイル…...。
事務室の隣にある研究室の床を水拭きすると、施釉タイルの美しい色合いが顔を出しました(左上)。事務室の床はモザイクで組まれた無釉タイル(右上)。クリンカータイルとその金型(左下)、スクラッチタイルは外壁に使われることが多いそう(右下)
Mizuho Ohta
同じ建物内にある物置や研究室などの床も含めると、タイルパネルの数は全部で97枚。見学会を開催した目的のひとつが「杉江製陶所を来てくださった方たちの記憶やSNSのなかに保存してもらいたいから」というところからも、同製陶所への愛情が感じられます。
この1週間後には広大な敷地内の建物すべてが取り壊されてしまう予定だったところ、この見本室を含め、できる限りを救出保存してみようと立ち上がったのが、加藤さんたちだったのです。
タイルと人に導かれて
もともと単行本の編集者だった加藤さんは、切手の本を執筆したあと、たまたまテレビで目にした岐阜県多治見市笠原町の美濃焼タイルに魅了され、そこで出会った人々に導かれるように、各地でタイルを追い始めます。そうした中で杉江製陶所に巡り合い、当時の杉江重剛(じゅうこう)社長と2時間ほど話す機会を得ました。
「重剛さんがタイル見本室に座ってしゃべっている姿にインパクトがあって…...実際に会ったのは2時間くらいなのに心に残って、他人とは思えなかった」と加藤さんは振り返ります。
研究室には、釉薬に使われる材料がぎっしりと置かれていた。棚にはチョークで「よごした台はきれいに」の注意書きが
Mizuho Ohta
しかしその後、重剛氏が急死したことにより、細々と操業を続けていた製陶所は取り壊されることに。代々続いてきた製陶所を父に代わってたたむ役割を担うことになった、現社長で娘の明子さんへのせめてもの慰めにと、できる限りのものを保存できないかと思い至ったのが、救出保存活動のきっかけでした。
「建物の取り壊し前にタイルを切り出すためにかかる費用は50万円。たった50万円でこんなに価値のあるものを残せないなんてバカバカしいと思ったんです」
そう語る加藤さんにとって、この規模の保存活動に関わるのは初めてでした。「保存委員会ではなく、『緊急救出委員会』と名付け、あまり深く考えずにとりあえず始めたのが良かった」といいます。
敷地内の工場のひとつ。道具などが置かれたままで、臨場感溢れる不思議な空間です
Mizuho Ohta
実際、21坪にもなる建物の保存は一筋縄ではいきませんでした。
幸い、見学会の参加費と盛況だったクラウドファンディングのおかげで、資金と一時的に保存できる場所は確保できていました。しかし、寄贈・展示したいのは事務所1棟分のタイル見本と資料。となると、収蔵できても展示ができなかったり、一部しか預かれないなど、保存展示していきたいという救出委員会の願いを叶えられるような寄贈先はなかなか見つかりませんでした。
そこに救いの手を伸べてくれたのが、実行委員会のメンバーのひとりで建築家の水野太史さんでした。水野さんが手がけていた障害者就労支援施設のワークセンターかじまの改修に合わせ、「前庭を地域に開かれた場所にしたい。見本室の床を庭に設置したら、人々を呼び込めるのではないか」と持ちかけてくれたのです。「こんな不動産級のものの行き先が見つかるんだろうか」と加藤さんが思い悩んでいた矢先のことでした。
そして2023年3月下旬、晴れてワークセンターかじまの前庭に移築されたタイルパネルのお披露目会が開催され、プロジェクトを支援していた多くの人が駆けつけました。一方で、まだ展示しきれていないタイルなども多く、「息の長いプロジェクトになりそう」だと加藤さんは話してくれました。
障害者就労支援施設ワークセンターかじまの前庭に移築された、杉江製陶所の見本室のタイル。竣工式の日にタイルの上で記念撮影をする加藤さん(左)と杉江明子社長(右)
写真提供:加藤郁美さん