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大量生産がゆえに忘れられた焼き物、タイルが語る歴史

生活を変えたタイル

「タイルが気になって気になって仕方がない」という加藤さんとの話は、笑いが絶えません。「タイルって、2000年くらいある焼き物の技術を使ってつくられているのに、その時々の流行に敏感で、子ども向けにモザイクタイルで鉄人28号をつくったりするんですよ」と語るなり、大笑い。興味深く壮大なタイルの話が次々と出てきます。

日本のタイルは、日本国内や海外の歴史的な出来事と多く関わってきました。

例えば、大正時代のスペイン風邪(インフルエンザ)の大流行により、衛生意識が高まり、生活改善運動が起こります。その一環として、水場やトイレでは腐りやすい木材の代わりにタイルを使うことが推奨されました。当時は高価だったタイルは、裕福な家庭と銭湯・遊郭を中心に使われるようになります。

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生活改善運動をきっかけに広く使われるようになった白タイル。右の写真のように、縁や角に丸みのあるタイルが使われた高級仕様のものも(江戸東京たてもの園にて撮影)
Mizuho Ohta

戦後に起こった生活改善運動では、都市部だけでなく農村部の女性の生活改善も推奨され、そこにもタイルが関わっています。土間にかまどだった台所をカラフルなタイル張りにすることで「お嫁さんを大事にする家」というイメージを作り出し、積極的に売り込んでいったのです。

また、大正12(1923)年に起きた関東大震災では、それまで屈強なイメージのあった煉瓦造りの建築物が全壊。以降、耐震のために鉄筋コンクリート造が推進されるようになりました。しかし、打ちっ放しのコンクリートのみでは外観が寂しいということで外壁装飾としてタイルが多用されるようになり、日本は世界でもめずらしいほどタイル張り建築の多い国となりました。

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タイルは街に彩りを添えます。ふっくらと膨らみのあるタイルは、戦前につくられたものが多いそう(江戸東京たてもの園にて撮影)
Mizuho Ohta

さらに、日本のタイルは海を超えてインドにまで輸出されていました。「日本のタイルはガンジーとも関係しているんですよ」と加藤さんは朗らかに笑います。

もともとインドでは、カラフルで図案的なマジョリカタイルをイギリスから多く輸入していました。しかし、インド独立運動と連動してイギリス製品不買運動が起こり、マジョリカタイルの技巧をうまく模し、色彩も鮮やかだった日本製のマジョリカタイルが大量にインドに輸出されるようになりました。

その一方で、和製マジョリカタイルがインドに輸出されていたことは、文献にはあったものの、日本国内での物証は見つかっていませんでした。しかし、加藤さんは名古屋市のタイルメーカー広正製陶の創業者の親族からインドに輸出されていた和製マジョリカタイルの金型を大量に保存していることを打ち明けられ、カタログの編集と寄贈先探しを引き受けることになりました。現在、金型は岐阜県の多治見市モザイクタイルミュージアムに寄贈されています。

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インドに輸出されていた和製マジョリカタイル。写真のものは佐治タイルで、ヒンドゥー教の神クリシュナをかたどっています
写真提供:加藤郁美さん

タイルが映す美意識

加藤さんはタイルを見るたび、使われていた年代や場所を想像するのだといいます。

「これは何年ぐらいのタイルだろう、というのは気になります。表面にふくらみがあるかとか、釉薬も昔のほうがいいんです。今は危険物として使えなくなっていた亜鉛などを含んだ釉薬も戦前は使えたのですごく色がいい。その時代に施釉タイルをつくっていたところは、高級な焼き物と同じくらいレベルの高い釉薬を使っていたので、ものがいいんです」

「戦後のモザイクタイルも、昭和30年代はいいですね。釉薬もいいし、土もいい。土がいいと釉薬の発色も良くなるんです」

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