無料の会員登録をすると
お気に入りができます

「少し離れてつながる」という人間関係の作り方『人間関係を半分降りる 』[レビュー]

エンタメ

「人からどう見られているか気になる」「悪口を聞かせてくる人がいる」「意見が合わず口論になる」など、家族や友人、恋人、学校、職場など、人との関わりの中では何かしら悩みが生じるものではないか。鶴見済さんの『人間関係を半分降りる ――気楽なつながりの作り方』(筑摩書房)は、対人関係における「こうあるべき」という考えを捉え直すことで、楽に生きられるヒントが詰まった一冊である。

「友だちは多い方がいい」「家族は助け合うもの」「恋愛をすべき」——人と人の距離が近いことは“素敵なこと”とされているが、果たして本当にそうなのだろうか。

虐待・いじめ・過干渉・共依存など、現実を見れば、距離が近い関係でのトラブルや苦しみは生じているし、自分の過去を振り返っても、親しい関係性であるがゆえに、甘えが生じ、必要な遠慮をせずにバウンダリー(境界線)を超えて傷つけてしまった反省もある。

鶴見済さんの『人間関係を半分降りる ――気楽なつながりの作り方』(筑摩書房)の中の「人間には酷い面があるのだから、少し離れてつながろう」という言葉は、近接的な人間関係が必ずしも良いとは思えなかった、私の中にある“疎外感”を癒してくれた。

“家族だから”を捉え直す

日曜日の夕方に放送されているアニメ作品を始め、フィクション作品の多くにおいて、仲良く穏やかな家族が描かれている。「家族のことは家族で面倒を見るべき」という考えも世間に根強く、家族の中で誰かに負担が偏ったり、犠牲になったりしているように見えても、「家族の絆」として美化されることも少なくない。だが、家族とは一概に素晴らしいものと言えるのかは疑問である。

本書でも紹介されているように、日本の殺人事件の半数は家族間で起きている。そして、鶴見氏は、家族に限らず人は近くなればなるほど、「好き」の気持ちが増す可能性とともに、「嫌い」の気持ちも大きくなることを指摘している。

私たちは、友人だって恋人だって合わなければ「離れる」という選択をしている。そして家族とは、子の立場から見れば、親もきょうだいも自分で選択してはいない、偶然生じた関係だ。冷静に考えると、偶然生じた家族という関係にだけ、背景や経緯を踏まえずに「助け合うべき/協力し合うべき」という価値観が強いのは不思議ではないか。

合わない人と無理に関係を続ける必要はない。「家族」というつながりがある人と、良好な関係性を築けている場合は、それはそれで幸せなことだと思うが、「家族だから仲良くすべき」という固定観念は見直していいだろう。

最近は毒親サバイバーが声をあげることも珍しくなくなってきているが、「どんな親であっても、産んでもらったのだから/育ててもらったのだから感謝すべき」「親から傷けられたとしても、親にも事情があったのだから受け入れるものだ」という反発が見られることもある。

本書では「育ててもらった恩」という言葉についても「誰もが一生親に頭が上がらなくなってしまう」と述べており、思わず心の中で拍手をした。

繰り返しになるが、子の立場から見れば、偶然一緒に生活するようになった家族という集団である。多くの場合、親は「子どもが欲しい」「親になりたい」という選択をしているだろうが、子としては「子どもとして生まれたい」という選択はしていない。こう考えると「産んでもらった恩・育ててもらった恩」で一生縛られるのは理不尽に思う。

一人でいるよりも孤独

本書では「孤独」について<否定も肯定もされない「無風状態」>と定義している。自分を否定してくる人間関係と、肯定してくれる人間関係を両極に、孤独を真ん中に置く。そう捉えたとき、「否定される関係のなかにいるよりは、友達がいないほうがはるかにマシ」「友達だろうが家族だろうが、否定されるならないほうがいい」と言及している。また、ある集団を自分の“居場所”と思えるためには、ありのままの自分を受け入れてくれるつながりである必要性を述べている。

実際、私自身にとっても、からかいや冷笑を含めて、ありのままの自分を否定をされることの多かった実家は、安心できる居場所とは思えなかった。コロナ禍で一人暮らしを始め、約3年間、オンラインでの会話を除けば、家族に限らず、ほぼ人と接しない生活を送っていたが、寂しさもなく穏やかであった。“孤独感”という意味では、実家にいた頃の方がはるかに強かったのだ。

人間関係における“常識”をひっくり返す

主に「人と人の近すぎる距離を離す」という方針で書かれている本であるが、「人間がどうしても苦手なら、人間に近づくのは必要最低限にしておけばいい。人間に警戒心を持ってしまうのは、もともと人間が怖いものだからなのだ」という、人への不安感が強い人間にとって、ほっとする言葉も綴られている。

本書の中で直接関連づけられているわけではないが、「ゆるい居場所を持つ」という案は、「必要最低限の人との関わり」という点で挑戦しやすいだろう。鶴見氏が2018年11月から毎月1回続けている「不適応者の居場所」という、レンタルスペースや公園等に場所を作り、ネット上で呼びかけを行い、知らない人同士が会話をするという集まりは、家庭・学校・会社以外の居場所であり、日常的な場が苦しいときの逃げ場所ともなっている。このような「サードプレイス」の機能を持った居場所は、少し離れて人とつながるために肝要であると感じた。

目次を見ると「友だちがいない時があってもいい」「どこにも通わなくても大丈夫」「家族は人間でなくてもいい」「家族とは一生離れ離れでもいい」「一緒に住んでも近づきすぎない」など、世間で“常識”とされている概念をひっくり返してくれる言葉が並んでいる。今、人間関係に何かしらモヤモヤとしたものを感じているならば、視点を変えるサポートをしてくれるような一冊だ。

picture

『人間関係を半分降りる ――気楽なつながりの作り方』(筑摩書房)(撮影:雪代すみれ)

オリジナルサイトで読む
記事に関するお問い合わせ