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[おとなのソロ部]荻窪「荻外荘公園」で歴史建築さんぽ。隈研吾氏設計の展示棟でゆったりカフェ休憩も

東京・荻窪の閑静な住宅街に位置する「荻外荘公園(てきがいそうこうえん)」は、昭和2年(1927)築の歴史的建造物「荻外荘(てきがいそう)」を中心に整備された、緑豊かな公園施設。内閣総理大臣を務めた近衞文麿が暮らし、政治の転換点となる「荻窪会談」の舞台にもなった邸宅では、ユニークな壁の文様やレトロなガラス戸など、和洋折衷の趣ある意匠をじっくり見て回ることができます。見学のあとは、建築家・隈研吾氏が設計した「荻外荘展示棟(てきがいそうてんじとう)」でカフェタイム。静かに歴史建築さんぽを楽しめる、とっておきのスポットをご紹介します。

日本を代表する建築家が手がけた「荻外荘」とは?

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「荻外荘公園(てきがいそうこうえん)」は、JR・東京メトロ荻窪駅から徒歩15分ほどの閑静な住宅街にあります。この建物は、昭和2年(1927)に大正天皇の侍医頭(じいのかみ=旧宮内省侍医寮の長官)を務めた入澤達吉(いりさわたつきち)の別邸として建てられました。設計を手がけたのは、「築地本願寺」や「平安神宮」などで知られる、日本を代表する建築家・伊東忠太(いとうちゅうた)。和洋折衷と異国趣味を独自に融合させた建築様式が特徴で、伊東忠太による見学可能な現存住宅はごくわずか。そのため、とても貴重な建築物といえます。

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建物の東側半分は昭和36年(1961)に豊島区に移築された

昭和12年(1937)には、内閣総理大臣を3度務めた政治家・近衞文麿(このえふみまろ)が入澤から譲り受け、別邸として使用。昭和戦前期にはここで重要な会談が行われ、政治の舞台にもなりました。

戦後、一時は建物の半分が豊島区へ移築されていましたが、保存活用計画によりこの地へ再移築。古い図面や古写真をもとに、近衞が暮らしていた当時の姿が忠実に復原され、約10年に及ぶ整備を経て2024年に一般公開が始まりました。

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見学できるのは、玄関、応接室、客間、食堂など11部屋(一部、広縁・廊下からのみ見学)。各部屋の説明板には二次元コードが掲示され、スマートフォンで読み取ると、建築デザインや歴史について詳しく知ることができます。受付にある無料の案内パンフレットとあわせてチェックしてみましょう。

和洋折衷の意匠をじっくり見学。ARで当時の様子を体感!

▪︎応接室

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入澤達吉の漢詩(中国の伝統的な詩)趣味も反映されたといわれる

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格天井には4枚の龍の天井画が見られる

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伊東忠太がデザインしたといわれる龍の敷瓦。一部は当時のオリジナルが残されている

玄関から続く「応接室」は、中国風の意匠でまとめられています。上海の書画家が描いた龍の天井画、床には龍の敷瓦、中央には螺鈿(らでん)細工を施したテーブルセットなど、みどころ満載。格天井や窓の格子、照明など細部まで統一されたデザインは、オリエンタルな雰囲気とモダンさが調和していて、この先見られる部屋の装飾にも期待が高まります。

▪︎食堂

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復原された椅子に座って、「荻外荘」の資料動画を見ることができる

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来客をもてなすために大きなテーブルが置かれた「食堂」は、壁模様に注目。腰壁には、二羽の鳳凰(ほうおう)が向かい合った「双鳳文様(そうほうもんよう)」、上壁は鶏のトサカを花のようにあしらった「鶏頭文様(けいとうもんよう)」と、色も文様も異なるふたつの壁装飾が際立ち、昭和初期に建てられたと思えないほど、斬新でモダンなデザイン。寄木張りの床や、ブドウとリスが描かれた食器棚も当時のものが再現されています。

▪︎客間

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「荻窪会談」が行われた、日本史に残る歴史舞台

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テーブルの上にあるうちわ、メモ帳など、細かい部分も再現

「食堂」のすぐそばにある「客間」は、第二次近衞内閣時の組閣直前に、日中戦争の路線方針を決める「荻窪会談」が行われた、歴史的な部屋。壁文様は「食堂」と同じに見えますが、こちらは動物と植物の組み合わせ。

渦巻き模様の椅子、亀とエビの壁掛け、キャビネットに飾られた人形の置物など、近衞文麿が好きなものを集めたのかなと、想像を膨らませながら見入ってしまいました。

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AR機能を備えたタブレットを2台設置。自由に利用できる

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「客間」の中には立ち入れませんが、広縁にあるAR機能付きのタブレットを部屋に向かってかざすと、「荻窪会談」の様子が蘇ります。登場人物の解説も画面上で表示され、まるで歴史の一場面に立ち会っているかのような臨場感。

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