今週のさそり座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
もう一人の私が遊ぶ
今週のさそり座は、内なる狂気が身の内から脱け出して躍動していくような星回り。
「霧月夜狐があそぶ光のみ」(橋本多佳子)という句に出てくる「狐」が、どこか雌狐のように見えるのは、やはり作者が女性だからではないでしょうか。というより、霧のなかで濡れて光って動いている狐という獣の姿に、他ならぬ自分自身を見出したのではないか、と考えるのが自然なように思われます。
それは、作者にとって道徳や理知では抑えきれないものであり、かといって「母性」や「かわいらしさ」など、社会に用意された類型にも到底おさめきれないもの。時に人知れず悶えているという仕方でしか、自覚できなかった何かなのかもしれません。
そうであるからこそ、掲句はどこか単なる表現上の遊びを超えたなまなましさを感じさせるのでしょう。今週のあなたもまた、本来の自分らしい自分に戻っていくための時間と場所を確保していきたいところです。
今週のいて座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
時間旅行者
今週のいて座は、「平凡な徒歩旅行者」として今自分の目に映る風景をよく眺めていくこと。
それはまるで、シュティフターの小説『晩夏』の主人公ハインリヒのよう。物語の語り手・青年ハンリヒは、社会に出る年齢になったとき、「専門を持たない自然科学者」の道を選択して、独学で動植物や鉱物の観察・収集や、地表形成の研究を進めていきます。
ハインリヒは自身のことを「平凡な徒歩旅行者」に過ぎないと前置きしつつも、その研究の醍醐味について、物語内で言及。多くの人は個人的な体験を時間尺度として生きていますが、ハインリヒのような自然を読む訓練を続けていけば、日常生活の感覚を超えたもう一つのまったく異なる時間と空間の尺度を手に入れることができるのかもしれません。
今週のあなたもまた、やはり自分個人とはまったく異なる尺度の知識や体験の持ち主にできるだけ直接触れていけるかどうかが鍵となっていくでしょう。
今週のやぎ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
いかに負けるか
今週のやぎ座は、これまで必死に“問題”だと思っていたものがそっと解消されていくような星回り。
「此道や行人なしに秋の暮」(松尾芭蕉)という句に基づき、与謝蕪村は後に「門を出(いづ)れば我も行人秋のくれ」という句を詠みました。蕪村の句は、私たちは同じなんだ、一歩出ればみんな「行き交う人」であり、あちこちに行ったり来たりしているだけなんだ、ということを示唆していますですが、芭蕉の句ではこれがひっくり返っています。
この場合「行き交う」とは、自分という心の道の上を忙しなく起こる心配や悩みや思考のこと。ただ、そうやっていくら自分が悩んだって、心配したって、逆にまったくしなくたって、同じなんだと言っています。同じなら心配しないで放っておけばいい。それでも時は流れ、秋は暮れるんです。
今週のあなたもまた、何かこれを自分の手で解決しなければならないと思っていることをちょっと置いて、気を楽にして大きな力に委ねてしまいましょう。掲句の「行人なし」とは、そういう試みでもあったはずです。