3:これまで頼んでろくな目に合わなかったから頼めない
これまで人に頼んで、ろくな目にあわなかった方は、「頼むわずらわしさ」が「頼むメリット」を上回り続けているからではないかと思われます。
後天的学習で人に頼めるようになった人たちは、頼んで良い結果を得られた。そこで味をしめたのです。が、頼めないままの人の場合は、頼んでも良い結果を得る事ができなかったのかもしれません。
誰にでも、人に頼んだものの、あがってきたもののレベルが思った以上に低くて驚き、がっかりしたことはあるのではないでしょうか。センスが悪かったり、出来上がったものに過不足があったり、間違いがあったり。そういうものを自信満々に持ち込まれたとき、「どういったらいいんだろう?」と途方にくれることは誰にもあります。
特に、かくれ繊細さんは仕上がったものに異を唱える、意見を言うことや、人の間違いを指摘する事が苦手です。なぜなら、「誰か他人の要望」が先にあって、その要望に自分を合わせていくというやり方をし続けてきた人たちだからです。他人が望んでいることをサッと察して、なにも言われないうちに叶える。そのやり方で、一定の評価を得て自分の立ち位置を獲得してきた人たちなのです。その「察する・叶える」やり方で社会に適応しています。
ところが、人に頼む段になると、その、これまでの成功法はまったく使えなくなります。
「この人は、こうしてほしいんだな」と先読みして、それを叶える側ではなくなるためです。頼む側(かくれ繊細さん)が「こうしてほしい」と最初に要望を出さなければならず、察して叶える方法を使うことができなくなります。
とはいえ、かくれ繊細さんがまったく意見を持っていないわけではありません。いえ、むしろどちらかというと、強い意見をお持ちです。だからそれを最初から出せばよいのですが、そこには高いハードルがあります。頼むときに、自分の意見を伝えればよいのですが、残念ながらかくれ繊細さんの意見は、一般的な意見とズレがあります。これは、生まれながらに感じ方や共感性の度合いが強いために生まれる「独特の観点」で、うまくつかえば「独創性」という言葉で言い表せるような能力として認められます。ですが、独創的すぎて引かれてしまうことも多いのが難点、欠点なのです。
この「ズレ」があることを、かくれ繊細さんたちもわかっています。わかっているから、この独創的な観点を隠すことで「普通であろう」としています。
普通であろうとするのは、その独創性を周囲から異物扱いされた過去が原因です。
学生時代、特に小学5年生〜中学時代に、その独創性による「空回り」「孤立」あるいは「いじめ」などを経験したことのあるかくれ繊細さんは多くいらっしゃいます。基本的に繊細なので自分が孤立したこと、いじめにあったことを、普通以上に強く自分の「傷」として刻み込んでしまいます。さらには、つらい出来事であったにも関わらず、「自分はそんなことに傷ついてはいないよ」という見せ方をしつづける(外にバレたくないという気持ちもとても強い)ため、周囲に気づかれないように心の奥深くに隠蔽されつづけてきてしまっていることは、まったく珍しいことではありません。
そのようにして、周囲から浮くのを恐れるがあまり、自分の意見を言う事ができなくなってしまうのです。
こんなに自分の独創的着眼点を隠して普通であろうと頑張っている。なのに、人に頼んで、仕上がったものに異を唱えたり、意見を言ったり、人の間違いを指摘してしまったら、自分が人と違う意見を持っていることがバレるかもしれません。
そんなことをしたら、かつて味わった「独創性」を表したときの苦痛をまた、味合わなければならないかもしれない。ならば自分の意見など言わなくても良い。
こんな風に決めつけるのは極端だ、と思うかもしれませんが、ゼロか100かを選びがちな傾向も持っていますから、「人に頼むのはなんだか苦痛。だったらぜんぶ自分でやる」のように、周囲の人が「え?」と思うような選択をする思考回路を持ちやすいのです。
3つめの「頼めない理由」は、「自分の意見を言うのが怖いためかもしれない」でした。
ここまで3つの理由をお話してきました。こんなにずらずらと理由があると、人に頼めなくても仕方ないかもしれないですよね。
「その理由のせいにしたくない」というルールが、「頼めない」克服の足かせになっている
最後にもうひとつ、この文章を読んで理由に納得したとしても、あなたがかくれ繊細さんなら、こう思うかもしれません。
「たとえ、そのような明確な理由があったとしても、私が頼めないのは私の責任であって、過去のせいにしてはいけない」と。
「ああそうか。だから、私は人にものが頼めないのか」「この理由のせいにしてもよいのか、なーんだ」とは簡単に問屋が卸さない。
それは、かくれ繊細さんの高潔さからくるのでしょう。「なにか他のもののせいにすべきではない」という強いマイルールを作り、それを死守したいと頑張ることで、潔く生きている方たちが多いと感じます。
もちろん、そのルールは、とても素敵です。たやすく人のせいにしている人たちをよしとしない気持ちは、強く共感できます。もし、頼めないことで行き詰りを感じており、それを打破しようと思われているのならば、「人にのせいにすべきではない」「過去の出来事を理由に甘えてはいけない」という強い信念に向き合うことから、あなたの生き方が変わるかもしれません。