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[9/13〜9/19の運勢]9月3週目の運勢はどうなる?SUGARさんが贈る12星座占いをチェック!

カルチャー

今週のかに座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

すってー、はいてー

今週のかに座は、すこし楽に構えられるようになっていくような星回り。

「我庭の良夜の薄(すすき)湧く如し」(松本たかし)は昭和十六年(1941)年の作で、月にほのかに照らされた薄(すすき)を「湧く如し」と表現したところに言葉の深いあやを感じさせる一句。これまでもそこに生えていたものの、月光を浴びた「薄」を見て、作者は改めてまるで初めてそれに気付いたかのような新鮮な印象を抱いたのでしょう。

一方で、「我庭」という言い方には強い愛着を感じますが、それはみずからの人生や生き方への充足感や執着が潜んでいる、内的世界の象徴なのかもしれません。そこに、ひょんなことから月光が差し込み、無数のすすきが湧いて出たのです。

身から出た錆ならぬ、庭から出た薄という訳ですが、それはいつの間にか根を張っていたもののもたらした果報であり、余計な力が抜け落ちて、わずかながらしがらみから解放されたことを意味しているのではないでしょうか。あなたもまた、こころや身体にすこし余裕をもたせることで、初めて見えてくるものが出てくるはずです。

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今週のしし座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

不意に語り始めた私は

今週のしし座は、揺らぎの中にある<私>を出発点にして、自分の言葉で語っていこうとするような星回り。

解体新書、通称『ターヘル・アナトミア』。1773年に刊行された西洋の医学書を日本語で初めて紹介した意欲的な労作であり、同時にその翻訳作業自体が医学を超えて日本が西洋の文明との落差に気が付いてしまった大事件であり、ひとつの危機でもありました。

それ以降、日本及びその支配層は「科学技術」こそが自分たちを豊かにしてくれるものと信じて疑わず、結果的に戦争にまで到ってしまった訳ですが、それでも当時の人たちにとっては、解体新書はこれまでのシステムや体制をみずから壊して再建していくきっかけともなったのです。その意味で、今のしし座の人たちもまた、そうした当時の日本に近い状態にあるのだと言えるかもしれません。

これまでのなんとなく抱いていた違和感や、これではいけないというそこはかとない思いが、具体的な輪郭をもって浮き彫りになってくることもあるでしょう。くれぐれも、短期的に解決しようとしたり、ごまかして無視することのないよう、今週は心して過ごしていくこと。

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今週のおとめ座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

こころのうごき

今週のおとめ座は、何でもないような仕方で深く心を響かせていくような星回り。

「未だ二人端居してをりねたましき」(古田中久二雄)という句を詠んだとき、作者は死期が迫った病人としてあり、永眠時もまだ二十七歳の若さでした。同時期の句に、「秋風や生きねばならぬわけもなく」というものもあります。

つまり、「端居」している「二人」を見て「ねたまし」いという告白は、生きねばならぬわけもなくなってきた人の詠嘆であり、単なるねたましい気持ち以上の何かだった訳です。それは諦めとも執着ともつかないような、ただ大いなるものの力に引かれてゆくのをひしと感じつつある、いのち知る者の深い心の哀れさであり、嫉妬や羨望とは正反対のなにか透明な感情だったのではないでしょうか。

人間悟ったようなことを言うほど悟ってないのと同様、悟ってないことを言うほど悟っているのだと思わせることに、これほど成功している句も滅多にないのではないでしょうか。あなたもまた、なかなか折り合いのつかない思いにこそ、いっそ正反対の表現を与えてみるといいかも知れません。

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今週のてんびん座の運勢

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illustration by ニシイズミユカ

ラッキー・ストライク!

今週のてんびん座は、びっくりするような認識を掘りあてていくような星回り。

作家の須賀敦子が学生時代ひと夏をロンドンの屋根裏部屋で過ごしていた頃の話として、ゴミを捨てにアパートの階段をおりた際、思いがけず地下室の住人と鉢合わせになったことをきっかけに、次のような思い出について書いていました。

「思いがけない窓のならんでいるのを見て、私はこどものころ読んだ話を思い出した。キエフだったか古いロシアの町に、靴職人がいた。その男は地下室のような部屋に住んでいたが、場所が場所だし、職業がらもあって、道を通る人たちの靴をいつも注意して見ている。靴から上は見えないのだけれど、靴を見ただけで、男にはそれを履いている人の寿命がすっかりわかってしまう。そんなふうにストーリーが始まるのだった」

私たちはほとんどの場合、自分の足の下がガランドウになっていることなど想像だにしません。須賀が出会った地下室の住人である老婦人も、まさにキエフの靴屋さんと同じような造りに違いないと直感したからこそ、彼女の記憶に深く刻まれたのでしょう。あなたも、こんな角度から自分に向けられていた視線があったのかという、新鮮な出会いに不意に開かれていくことがあるかも。

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