isutaでは今週も、SUGARさんが贈る週間占いを配信。
星乃せいこさんによる「毎月の運勢グラフ」も配信しているので、こちらもぜひチェックしてくださいね♡
今週のおひつじ座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
いけいけどんどん
今週のおひつじ座は、大いなる開き直りへと突き抜けていこうとするような星回り。
「枯草の大孤独居士ここに居る」(永田耕衣)という句は、当時95歳だった作者が東日本大震災に遭遇したときの体験について、その翌年に詠んだ句。たまたま2階のトイレに入っていて、狭く堅牢な空間だったため、壁土やタイルに埋まってしまったものの、肉体的な損傷をまったく受けずに済み、たまたま隣人が瓦礫となった家にのぼり、トイレの窓から作者を救出したのだそう。
まさに九死に一生を得たわけですが、これは誰かの助けを呼んでいる句ではありません。「大孤独居士」とは、大いなる孤独の存在であるということであり、また自分はこの世に存在しない死者と同じだということでもあります。なにより、まだ死んでもいない自分のことをみずから戒名めかして呼ぶおかしみや諧謔(かいぎゃく)のうちに、そこにこそ人間本来の生きてある姿があるのだと、言外に主張しているのではないでしょうか。
そこには、家も家族もなにもかも失っても、それでも悲しみや孤独に耐えながら、明るさを忘れずに生きている、たくさんの老人の姿が重なっていくように思います。あなたもまた、そんな「大孤独居士」のひとりとして過ごしてみるといいでしょう。
今週のおうし座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
キャッチボール
今週のおうし座は、みずからに投じられた種によって生じた変化に、思い当っていくような星回り。
茨木のり子の「居酒屋にて」という詩は、他者の発した言葉に反応して書かれたのであろう『人名詩集』という詩集のうちのひとつで、文字通り居酒屋にて、源さんという男がこんな風に言っていたのです。
「俺はもう誰に好かれようとも思わねえ/いまさらおなごにもてようなんざ/これんぽんちも思わねえど/俺には三人の記憶だけで十分だ!/三人の記憶だけで十分だよ!」「いくばくかの無償の愛をしかと受けとめられる人もあり/たくさんの人に愛されながらまだ不満顔のやつもおり/誰からも愛された記憶皆無で尚昂然と生きる者もある」
最初の一節は、源さんがまさにそうであったところを詠み、次の一節はその対極にある者について詠み、最後の一節は、おそらくよく知っているようで名前の浮かばない誰かについて想像しながら詠んだのでしょう。あなたも、自分はどの一節にあたるのか、またあたらないのか、ということを考えてみるといいでしょう。
今週のふたご座の運勢
illustration by ニシイズミユカ
ささやかな聖地
今週のふたご座は、自分が大切にしていきたい様式美を再発見していくような星回り。
「何かある山門前に焚火して」(高浜虚子)で詠まれているのは、山門の前で焚火をしている情景。「何かある」とは、何か行事でもあるのだろうかという心持ちであり、出かけたついでに馴染みのある寺をのぞいてみた、といった場面なのかも知れません。実際、作者はこの句を鎌倉の長谷にほど近い、人里に隣した寺でつくったそうです。
冬、焚火、なじみの寺。それらが結びついたことで「何かある」という心のはずみが生まれたのであり、そこにはある種の型にのっとった様式美のような趣きさえ感じられます。
今の世の中では「全米が泣いた」とか「100万部の大ベストセラー」などの宣伝や、とにかく脳が反応せざるを得ないような強い感情フックをいかに仕掛け、人々を消費に走らせるか、というある意味で「負の様式美」とも呼べるようなものが横行していますが、本来は掲句のような様式を通して人間は人間らしさを培うことができるのではないでしょうか。あなたも、そうした些細で繊細な数学を身近な自然や人間関係のなかに見出していきたいところ。