有田焼の産地として有名な有田町。焼き物の町にふさわしく、鳥居や狛犬、灯籠などが焼き物でできた日本でも珍しい「陶山神社(すえやまじんじゃ)」が鎮座しています。また有田焼のお守りや御朱印帳もこの神社ならでは。境内を電車が走り抜けるという驚きの光景も見逃せません。
焼き物の町に鎮座する屋外美術館のような神社
佐賀の北部、長崎との県境に位置する有田町は、日本初の磁器生産地。有田焼は約400年の歴史を誇り、江戸時代から海外へも輸出され、透き通るような白磁の肌に美しい絵付けを施した磁器は、ヨーロッパでも愛されています。
町を見下ろす高台にある「陶山神社」は、万治元年(1658)に「有田皿山宗廟八幡宮(ありたさらやまそうびょうはちまんぐう)」として創建。その後、明治4年(1871)にこの地区の総称名にちなんで改名されました。有田町泉山で良質な陶石を発見した有田焼の創始者・李参平(りさんぺい)も祭られています。
正式な読み方は「すえやま」ですが、地元では「とうざん」の愛称で親しまれ、まさに陶磁器の神様。全国でも珍しい、焼き物の鳥居や狛犬などを見ることができ、その景観は「有田焼の野外美術館」とも称されるほどです。
鳥居に狛犬、灯篭など有田焼の銘品が境内に点在
まず拝殿へと続く急な階段の脇に有田焼の灯籠を発見。「お年を召した参拝者がこの階段を上るのは大変だろうから」という理由で、下からも焼き物が見えるようにと奉納されたものだそう。心温まるエピソードにほっこりします。
72段の階段を上り終えると、神社のシンボルである有田焼の大鳥居がお出迎え。白磁に天然呉須(ゴス)の淡いブルーの唐草模様が入った大鳥居は高さ3.7m、幅3.9m。明治21年(1888)に有田焼の陶工たちが寄進したもので、国の登録有形文化財に指定されています。鳥居は一度台風で倒れてしまいましたが、焼き直しや継ぎ合わせをしながら修復。少し青が濃く見えるのは焼き直した部分です。
よく見るとたくさんの磁器が組み合わされて1つの鳥居になっていることが分かります。有田焼の匠たちによる技術の高さに、ただただ圧倒されるばかりです。
鳥居の近くには、1対の狛犬が仲良く並んでいます。ちょっぴりユニークなお顔立ちをした愛らしい狛犬さん。鳥居より1年早い明治20年(1887)に奉納され、こちらも有田焼。白磁に青い染付のシンプルな狛犬の姿とは対照的に、台座には華やかな赤絵でチョウなどが描かれています。雨風にさらされて見えにくいですが、狛犬が乗っている台が赤絵部分です。
拝殿そばの階段途中にも1対の磁器製灯籠が
白い玉砂利が敷かれた拝殿がある周辺にも、磁器製の灯籠や門柱、直径90㎝の大水瓶などの大作がずらり。明治から昭和の時代にかけて製作されたもので、焼き物好きにはたまりません。
拝殿の裏手の磁器製「玉垣(たまがき)」にも注目!現在は本殿を囲む、手すり「高欄(こうらん)」として配されていますが、元は神社の聖域を囲んだ玉垣として弘化3年(1846)に奉納されたものだそう。
北側と南側にある玉垣の総延長は6.2m。表面には呉須による緻密な蔓草(つるくさ)文様がびっしり描かれています。磁器の部材を巧みに組み合わせた珍しいもので、町の重要文化財にも指定されています。
みどころが多い陶山神社ですが、さらに驚く光景に遭遇。参道の前に線路があり電車が通っているではありませんか!JR佐世保線の博多~佐世保間を開業する際、有田には線路を通せる場所がなく、神社の一番端を通すことになったのだとか。
電車は1時間に2~4本ほど通過。特急や普通列車が走り抜ける、不思議な光景に出会えるのもこの神社ならではです。遮断機がないので、電車の通過時にはくれぐれもご注意を。
神社内にある窯で焼かれた有田焼のお守りと日本で唯一の御朱印帳も
参拝後は社務所へ。もちろんお守りや絵馬も焼き物で作られています。しかも神社内にある宗廟窯で焼かれたものだというから驚き!神職自らが手掛けるお守りは、とてもご利益がありそうですよね。
「交通安全御守」800円
写真は剣先型のやきものお守り。裏には境内にある磁器製の狛犬がデザインされています。ほかにも細身のタイプやふた付きの湯のみ型(各800円)など、交通安全のお守りだけでもバリエーションが豊富。