40代も半ばになると「もうやり直しがきかない」という気持ちになることがあります。20代、30代のころって挑戦して失敗しても、また同じところからスタートできるような感覚だったのに。新しい挑戦はいくつになっても大事だけど、そのために必要な体力も時間も有限なんだって実感するお年頃。そこで、40代を自分のためにいい時間を過ごすために辞めたことがいくつかあります。
悩むのを辞めた
悩んでいるときって、物事って何も前に進みませんよね。
そして、40年以上もいろんなことに悩んできた経験からわかったのは、悩んでも悩まなくても結果は大して変わらないという衝撃の事実です。
むしろ、悩んでいる時間の分だけ行動をしてしまった方がよかったな、なんてことはザラにある。
40代も半ば近くになってくると、自分にとって「時間」がどれだけ貴重なものかをとても実感するようになります。
悩んでいるよりも、行動することに時間を使ってあげたい。
そう思うようになりました。
石の上にも3年を辞めた
20代、30代のころって、5年経っても大して身体の変化って感じませんでした。
でも、「あれ?白髪増えたな」とか「なんだか痩せにくくなった気がする」とか「徹夜ってこんなにキツかったっけ?」などふとした瞬間に肉体的な変化を感じることが増えてきますよね。
40代になったからって意外と変わらないな、ということもあれば。よく観察していると少しずつ変化をしていることもある。
その中で、身体の変化は個人差や努力差はあれど、当然衰えていきます。
悩むのを辞めた、にも繋がりますが、自分が本当に大切だと感じられない、もしくは早く辞めたいと思っているなら、そこで我慢し続けることもないのかなと思うようになりました。
長く続けることが美徳とされがちな日本ですが、本当に長く時間をかけたいものかどうかを見極めることも大切だと思います。
大人のフリをするのを辞めた
40代にもなると、社会的な立場も上がってきます。仕事でも部下や後輩が増えたり、子どもから色々と聞かれることも増えたりします。
そうするとついつい大人っぽい態度をしてしまいがちになりませんか?
別にそれが悪いわけじゃありませんが、大人のフリをしてしまうことで損をしていることも多いように感じます。
知ったかぶりをしてしまったり、泣き言を言えなかったり、辛いことを認められなかったり。
だけど、そんなのは誰かが決めたただの大人のイメージ。なにも自分がそれに従う必要なんてないのではないでしょうか。
わからないことを、認められる。その上で年齢やキャリアにとらわれずに聞いたり学んだりできる。
いい大人が泣き言なんで格好悪いなんて思わずに、辛さを吐き出せる相手がいる。
その方がずっと、自然体でいられるような気がしています。
自分の可能性やできることにとらわれるのを辞めた
40代になると「時間のなさ」を実感すると書きました。
でもそれは、可能性を失ったわけでもなければ、新しい挑戦をする時間がないということでもありません。
むしろ逆で。この歳になると自分ができることや得意なこと、もしくは苦手なことなどがある程度わかるようになってきます。
時間を効率よく使いたいと考えれば、得意なことだけに注力するのが賢いやり方に思えるかもしれません。
だけど、ここから先の人生は「目的を達成すること」よりも「歩くことを楽しむこと」が大事な気がしているのです。
目標は達成してこそ意味がある。そんな風に思うのではなくて。
目標に向かって歩いていること自体にこそ価値があるのではないでしょうか。
言うなれば、頂上をひたすら目指す登山という人生から、山歩きを楽しむハイキングのような人生へ。
そう思うと、自分の経験則やこれまでの実績などで自分の人生を縛り付けてしまうのは、なんともったいないのだろうと思います。
達成だけを目標にするからとらわれる。
だけど、歩くことに意義を見いだせるなら、自分で思う可能性や、できることなんかにとらわれることなく。好きなことに挑戦してみてもいいのではないでしょうか。