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最先端ロボットは匠の技を支えるためにある。金子眼鏡が鯖江で起こした"産業革命"

ライフスタイル

自分たちがつくらなければ

自社ブランドの商品開発が軌道に乗り、販路が開拓できたものの、新たに課題となったのが製造の安定性でした。

2000年代、中国製の商品の流通によって価格競争が激化し、鯖江の工場や職人は仕事を奪われていきました。廃業を免れた一部の工場に注文が集中。金子眼鏡が製造を委託していた取引先でも、納期や品質の面で問題が起きるようになりました。このとき、自社ビジネスの危機感だけでなく、産地全体が危ないという焦りが生まれたといいます。

「当社は規模が小さかったうえにディテールにこだわっていたので、外資系の大手からドンと発注が入ると、そちらの製造を優先されてしまう。安定した製造元を探すため、鯖江の工場や職人さんにお願いして回っていたら、聞こえてくるのは後継者不足や廃業の懸念ばかりでした」(市川さん)

「特にプラスチックフレームは、木工製品をつくるように素材を削り出し、組み合わせ、磨く手間がかかるので、人手不足は致命的です。それならば自分たちでプラスチックフレームをつくれるようになろう。そう覚悟するのは必然的な流れでした」

廃業した工場で始めた眼鏡づくり

2006年、市川さんを中心に製造部門が発足。といっても、廃業した眼鏡工場を借り、ゼロからスタートしたものづくりでした。まずはつるの部分から、それができたらフロントの部分を。機械を1台ずつ揃えて、工程を増やしていきました。

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「自社で製造する提案をしたとき、誰も成功すると思っていなかったが、金子社長だけが信じてくれた」と市川純一郎さん
Seigo Ito

3年後の2009年、一通りの工程ができるようになったところで「BACKSTAGE」を設立しました。商品企画、デザイン、色決め、素材の切削、加工、研磨、組み立て、調整、検品まですべての工程が一貫してできる拠点工場です。

「デザイナーと職人が同じ工場にいるため、お互いを尊重しながら意見交換できるのが特徴です。デザイナーも、自分で眼鏡をつくろうと思えばつくれますし」と大橋さん。スタッフがすべての工程をひと通り担えるようになっているのも、一貫生産ならではの強みです。

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工場の2階にあるデザイン室。年間200型のデザインが自社デザイナーにより生み出されている
Seigo Ito

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人から機械へ、機械から人へ

眼鏡づくりの最初の工程は、職人の手でおこなわれます。

プラスチックフレームの原材料であるアセテートやセルロイドは、厚さ数ミリの板状で納品されます。これを眼鏡のフロントやつるのサイズに合わせて長方形に切り出した後、1枚ずつ金型に挟んでプレスして顔面に沿ったカーブをつけます。

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プラスチックフレームの主な素材であるアセテート(左)。取り扱いに技術と知識が必要なセルロイドや、熟練の職人から技術を継承した鼈甲製のつるの眼鏡もつくっている

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板状の素材を温めてから一つずつ真鍮の金型に挟み、プレスしてカーブをつける(右)
Seigo Ito

これらをBASEMENTに運んで機械を使って眼鏡の形に削り出し、ロボット研磨を経たのち、再びBACKSTAGEに戻して、改めて人の手でつるの芯入れや研磨をして仕上げます。ただ、BASEMENTのほうでも機械の調整や操作、製品の運搬や削りくずの掃除など、人による作業は欠かせません。機械が担っているのは、一部の作業に過ぎないのです。

「眼鏡づくりはほとんどが手作業によるものです。ロボットの力を借りて労働集約型産業から脱却していくことは、これから先も眼鏡づくりを発展させ続けるためには必要な変化だと考えています」(大橋さん)

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BASEMENT
Seigo Ito

手仕事と機械を融合させる

大橋さんは「ロボットを使うのはコストや時間の節約が目的ではない。よりよい製品をつくり、技術を高めるため」と強調します。あくまで眼鏡づくりの未来のため。労働人口が減る中で、グローバル化による技術革新や価格競争に対抗し、眼鏡産地としての鯖江を残していくためだ、と。

「もちろんロボットの力を借りたとしても、丁寧なものづくりをすることに変わりはありません。考え方としては、一流のシェフが料理をつくるけれど、キャベツの千切りだけは機械に任せてもいいんじゃないかというような。大事なところに集中できるようにし、熟練の職人たちが一つひとつ手作業で仕上げています」

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