もっと認めて、私をほめて、「いいね」が欲しい! ……こんな“承認欲求”強めの人、あなたの周りにいませんか? 賞賛を原動力に結果を出すのはいいことなのですが、大げさなアピールやさりげない自慢が多すぎると、さすがに面倒という気にもなりますよね。今回は、そんな「認めて欲しい」が強すぎる人の特徴と対処法を、化粧心理学者の平松隆円さんに解説していただきます。
平松隆円(化粧心理学者)
人には誰しも、「誰かに認められたい」という欲求があります。心理学ではそれを、“承認欲求”とよぶことがあります。
最近では、誰かに認められたい=目立ちたいという構図のなかで、YouTubeやInstagramで多くのフォロワーや“いいね”を得たいと、時には法をおかしたり、他人に迷惑をかけるような行動をする人たちもでてきました。なぜ人はそんなにまでして、誰かに認められたいと思うのでしょうか。
「認められたい」という気持ち=承認欲求とは
ひと言で「承認欲求」といいましたが、心理学の世界では、“賞賛獲得欲求”と“拒否回避欲求”という2つの側面から研究がおこなわれてきました。少しむずかしいかもしれませんが、がんばって説明するので、おつき合いください。
マズローの「承認欲求」とは
承認欲求について考えられるようになったのは、マズローというアメリカの心理学者がきっかけです。マズローは『欲求段階説』という考え方のなかで「承認欲求」を、人間の基本的な欲求のひとつとして位置づけました。 そしてマズローは承認欲求にも2つあると考えました。
ひとつは、自分の周りにいる他者から認められたい、評価されたい、注目されたいという欲求です。もうひとつは、自分で自分を認める(納得する)という欲求です。
一般的に欲求段階は、成長(加齢)過程と関連があるので、ちょうど10代の頃に、クラスや友人の中で“一目置かれる存在になりたい”“人気者になりたい”という欲求が起こります。
「賞賛獲得欲求」と「拒否回避欲求」
次に、「賞賛獲得欲求」と「拒否回避欲求」についてご説明しましょう。これは、自分が周囲の人たちに受け入れられようとする承認欲求には、他者から肯定的な評価を得ようとする“賞賛獲得欲求”と、それとは逆に、否定的な評価を避けようとする“拒否回避欲求”の、2つの側面があるという考え方です。
「人と話すときにはできるだけ自分の存在をアピールしたい」「大勢の人が集まる場所では、自分を目立たせようとはりきる」というような人は、賞賛獲得欲求が強いタイプです。
「意見を言うときに、みんなに反対されないかと気になる」「不愉快な表情をされると、あわてて相手の機嫌をとる」というような人は、拒否回避欲求が強いタイプとされています。
おもしろいことに、後者の“拒否回避欲求が強い”人の場合、周りの人から評価される場面になると、たとえその評価が肯定的なものであっても、照れくさくなったりして、必ずしも心地のよいポジティブな感情にはならない、ということがわかっています。
現代の承認欲求は、さらに複雑
これらのマズローの承認欲求や、「賞賛獲得欲求」と「拒否回避欲求」という考え方は、今でも十分に通用するものですが、もしかしたら現代の承認欲求を説明するのには、これでは限界があるかもしれません。
というのも、承認欲求それ自体は広く人間が持つ欲求として、昔から存在していましたが、それを満たすことは簡単なことではありませんでした。たとえ満たせたとしても、せいぜい家族や友人、会社の同僚など、自分が現実に生活している範囲のなかだけのことだけでした。
ところが現代では、TwitterやInstagramなどのSNSを舞台に、一般人でも芸能人やセレブリティなどの有名人と同じ規模で認めてもらえるチャンスが広がったわけです。つまり、リアルの世界で認めてもらうだけでは満足できないというのが、今の時代の承認欲求の姿なのかもしれません。
“なぜ承認欲求が強くなってしまうのか”の仮説
誰もがもっている承認欲求ですが、それが強めの人が身近にいると、めんどくさいな~と感じてしまうことがあるでしょう。なぜ承認欲求は肥大してしまうのでしょうか。
“承認される基準”があいまい
昔であれば、人から認めてもらうための条件は、ごくシンプルでした。学歴、家柄、経済力などです。承認されるためにみんなでしているゲームが同じなので、わかりやすかったわけです。そして、勝ち負けもはっきりしていました。負けた人は、あきらめもつけやすかったのです。
ところが現代では、承認される基準があいまいです。学校の成績で負けたとしても、SNSの“いいね”で勝てば、承認欲求を満たすことができます。つまり、みんながそれぞれの得意分野で認められる、ということが起きるわけです。こうなると、特に、「賞賛獲得欲求」を満たすことはむずかしくなります。
「あの人、インスタのフォロワー数は多いかもしれないけど、私のほうがリアルの友だちは多いもん。いい気にならないでよ」となるわけです。自分が勝っているはずなのに別の基準では向こうが勝り、“自分の勝ち”の影が薄くなることが不快なわけです。
自分だけでなく、相手も勝ってしまう
自分が勝っているのに、別の土俵の勝負で負けて、自分の勝ち薄まることが不快なのは、相手も同じ。いわば嫉妬なのでしょうが、嫉妬心を相手がおさえていたのは昔の話。上述したように、現代は、自分が認められる基準というのが非常にあいまいで、もう、なんでもありなのです。ですから、子どものケンカみたいに、次から次へと承認される新たな条件を持ちだしてきます。