無料の会員登録をすると
お気に入りができます

「デザインの寿命を長くしたい」。掲示が終わった広告が、世界でひとつだけのバッグに

ライフスタイル

企画やデザインに膨大な時間や労力がかかるのに、掲示されるのはわずかな期間だけ。倉庫で眠らせるか廃棄するしかなかった広告宣伝物を掘り出し、バッグにアップサイクルするプロジェクトがあります。クリエイティビティを使い捨てにしないという発想の原点とは。

幼虫として土の中で数年間を過ごし、ようやく地上に出たらたった数週間で死んでしまうセミ。

そんなセミの一生に似ているのが、時間をかけて準備したのに掲示期間が終わると廃棄されてしまう、広告宣伝物の運命です。

「ひとつの広告には、企画、デザイン、撮影、議論など、目には見えないけれど多くの人たちの労力と時間とアイデアが詰まっています。物質的な素材の再利用も大切ですが、むしろ僕は『デザインの寿命を長くしたい』という思いが強いです」

展示が終わった広告や掲示物などのデザインを生かし、バッグにアップサイクルするブランド「蝉 semi」。ブランド名にそんな思いをこめた創業者の石川大輔さんに、話を聞きました。

蝉 semi
picture

東京都大田区にある「蝉 semi」の工房には、広告の素材でできた色とりどりのバッグが並んでいる
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

ーー展示が終わった広告宣伝物をどうやって再利用しているんでしょうか。

主に横断幕や旗など「ターポリン」に印刷された広告や掲示物を使っています。

ターポリンはポリエステルやナイロンなどの合成繊維の生地の両面が合成樹脂フィルムで加工されているもので、強度があり、防水性、耐久性に優れています。

展示が終わった広告を回収し、生地を洗って、型紙を切り取り、ミシンで縫っていきます。どの部分を切り取るかによってバッグの色やデザインが決まるので、一点物になります。

素材は、東京・六本木の商店街の街路灯に飾るフラッグの展覧会「六本木デザイナーズフラッグ・コンテスト」と連携して提供してもらっています。百貨店や企業で使用しなくなった広告や掲示物の再利用を依頼されることもあります。

picture

鹿島アントラーズ30周年記念のアニバーサリーウォールをアップサイクルしたバッグやポーチ
蝉 semi 提供

2022年には、鹿島アントラーズ30周年記念のアニバーサリーウォール(横断幕)をアップサイクルしてバッグやポーチを制作し、メルカリShopsを通してファンに販売するコラボレーションの企画を実施しました。

本来なら廃棄されてしまうはずのデザインが、形を変えて生まれ変わり、長く使ってもらえるものになるのです。

picture

裁断した生地を縫い合わせるミシン
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

ーー2011年の創業以来、石川さんが一点ずつ制作しているのでしょうか。

規模が大きいコラボレーション企画でない限りは、基本的には一点一点、自分でつくっています。

実は、独立するまで縫製の仕事をした経験はありませんでした。ミシンを使ったのも試作品をつくったときがほぼ初めてで、下糸が何なのかもわからず、糸がからまってばかりでした。布や革を縫ったこともないのに最初からターポリンのような固くて滑りにくい特殊な素材を扱ったので、これが当たり前なのかなと思っていたくらいです(笑)。

縫製を外部の工場に依頼することも考えたのですが、素材や色、デザインが一点ずつ異なることから個別の対応が難しく、だからこそ、自分で手を動かすことに意義があると感じるようになりました。

やはりデザインを大切にしたい思いが強いので、広告のデザインを生かすために生地の切り取り方や組み合わせ方を工夫したり、糸の色を場所によって変えたりと、細かい調整をしたいんですね。そのためには結局、自分で手を動かすことに行き着きました。

picture

「広告がグラフィカルなので、ステッチが主張しすぎないように」と糸の色を豊富にそろえている
Akiko Kobayashi / OTEMOTO

ーーショルダーバッグやリュックなど難易度が高そうな商品もあります。なぜ広告から鞄をつくろうと思ったのでしょう。

もともと鞄が好きで、大学生の頃は昔ながらの鞄の修理工房でアルバイトをしていました。そこでは販売もしていて、大好きだった「吉田カバン」の「PORTER」や「LUGGAGE LABEL」のバッグを推しまくって売っていました。

就職活動にはあまり関心がなく、大学を卒業して1年後に吉田カバンに就職。ちょうど新規出店がピークだったころで、店舗の立ち上げや改装を5年半ほど担当していました。

その後、イケア・ジャパンに転職。2006年4月にオープンしたばかりの「IKEA船橋(当時)」で、大量生産のシステムやユニバーサルなデザインなど、世界中で再現性のある仕事の仕組みについて学びました。

次のキャリアとしてラグジュアリーブランドへの転職活動をしていた矢先の2008年にリーマン・ショックが起き、選考が休止しました。思い切って違うことをしてみようと大学院の試験を受け、慶應大学大学院メディアデザイン研究科に入学しました。

オリジナルサイトで読む
記事に関するお問い合わせ