世界経済フォーラムが2024年6月12日に発表した2024年版の「ジェンダー・ギャップ指数」によると、日本は調査対象146カ国中118位。特に、政治や経済の分野では依然として順位が低迷していることが明らかとなりました。そんな日本で、女性たちをサポートするセルフケアブランド「WRAY(レイ)」を立ち上げた谷内侑希子さん。金融、ビジネスの第一線で働いてきた谷内さんのキャリアを振り返りながら、起業に込めた思いについてお話を聞きました。
男女格差の現状や、男女平等の実現度合いを数値化した「ジェンダー・ギャップ指数」。日本は前回よりもやや順位を上げているものの、G7では最下位。経済分野における順位は120位で、特に管理的職業従事者の男女比に関する順位では130位と、女性管理職の比率の低さは世界的にみても低水準となっています。
「WRAY」の代表としてビジネスの最前線に立つ谷内侑希子さんが、大学卒業後にファーストキャリアとして選んだのは、世界有数の投資銀行であるゴールドマン・サックスの日本法人。大学ではマーケティング、経済、会計などを学んだ谷内さん。そこで、マクロ・ミクロ両方の経済に関わる証券会社でのチャレンジを決意します。
「全てのビジネスの基本となる、経済や金融に関する知識やスキルをまずは身につけたいと思いました。また、外資系ということもあり、公式サイトでは女性管理職も紹介されていて、女性が活躍できる職場環境というイメージがあったことも大きいですね」
写真提供:WRAY
激務の日々に悲鳴をあげた体
こうして、金融の世界へと足を踏み入れた谷内さん。しかし、そこで待ち受けていたのは、想像を絶するハードワークの毎日でした。
「当時私が在籍していた部署は特に多忙で、朝6時に家を出て、深夜2時に帰宅することも珍しくありませんでした。そのため慢性的な睡眠不足の状態になっていて、ストレスを解消できる方法も見つけられていなかった気がします。『とにかくこの世界で働いてみたい!』と思って飛び込んだ業界でしたが、今振り返ってみると、長期的に働くという視点では考えられていなかったかもしれないです」
ハードワークが続いたことで、体調を崩してしまった谷内さん。メンタル面でも不安定になり、生理不順になってしまいます。
「それまでは不調を感じたことがなかったぶん、生理不順になったという事実にすごくショックを受けてしまって。病院では『ストレスが原因ですね』と言われましたが、『メンタルは弱い方ではないと思っていたのにな、自分にはもう続けられないのかな』と自己嫌悪に陥ってしまい、それもまたストレスに拍車をかけました」
その後、メリルリンチ日本証券(現BofA証券)に転職し、金融業界でキャリアを積んでいた谷内さんでしたが、当時は「この働き方を続けていたら、私はこれからどうなるんだろう…」という漠然とした不安を抱えながら働いていたといいます。
転機となったのは2012年。夫の転勤に伴い、思い切って退社しイギリスへ移住することを決めたのです。
谷内侑希子(たにうち・ゆきこ)/WRAY代表
大阪府出身。早稲田大学卒業後、ゴールドマン・サックス証券に入社。メリルリンチ日本証券(現「BofA証券」)への転職を経て夫のロンドン転勤に帯同。帰国後は、YCP Holdings(現「YCP Solidiance」)に参画し、スキンケアブランドのマーケティングを担当。同傘下のN&O Life(現「SOLIA」)取締役、ファッションPRマーケティング会社ステディスタディ経営企画室室長を経て2020年に「WRAY(レイ)」を創立。プライベートでは3児の母で、現在は夫の赴任先のオランダ・アムステルダムと日本の二拠点生活を送っている。
写真提供:WRAY
帰国・仕事復帰で感じたガラスの天井
仕事から離れたイギリスでの生活は、リフレッシュすることができるいい機会となったと話す谷内さん。ですが、そのうちに、仕事をしない生活に漠然と不安を感じてしまうようになったといいます。
イギリスに移住する直前には出産も経験。慣れない海外の地で子育てに奮闘しながら、リモートで在宅ワークができる仕事にチャレンジします。
「社会とのつながりが欲しかったという思いも背景にありますね。その後、日本へ帰国したタイミングで仕事にも復帰しました」
2014年に異業種の戦略コンサルティング会社へ入社し、自社ブランドのスキンケアブランドのマーケティング・商品開発を担当。採用面接にも関わるようになった際に感じたのは、女性を採用する際の男女の”目線”の違いだったといいます。
「男性の面接官は、女性の応募者に対し『どうせいつか辞めてしまう』と思っているように感じていました。 一方で同じ女性の面接官だった私が考えていたのは、『この人がどうやったら長く働き続けられるのか』ということ。女性に長く働き続けてもらうための方法や、反対に『こんなことでは長く働いてはもらえないな』ということは何かを常に意識していましたね」
面接時、谷内さんが必ず聞いていたというのは「今後、どんな人生を歩んでいきたいか」。その背景には、ライフイベントを見越したうえでキャリアを選択してほしいという、谷内さんならではの思いがありました。
「私自身が比較的短期間のうちに仕事を変えてきたということもあり、目の前にある仕事だけではなく、女性ならではのライフイベントも想定してみてほしいと思っていました。もちろん、『今は結婚や出産を考えていない』という答えでもかまいません。そのうえで、担当してもらう仕事やステップアップの仕方についての会社からの提案が、応募者とマッチすればいいなと考えていました」
その後、取締役となった谷内さんは、そうした目線を大切にしながら女性を採用していたというものの、男性が多かった会社で、いわゆる「ガラスの天井」も感じていたと話します。
「『この会社でどこまでキャリアアップできるのかな?』とは考えていましたね。女性のキャリアパスに関する前例も少なく、自分が頑張ったところで限界があるように思ってしまったんです。その後、縁あって次のキャリアとして選んだのは、女性が多く働くファッション業界のPR会社での仕事でした」
国内外のファッションブランドのPRやマーケティングを受託するステディ スタディでは、経営企画室室長として未経験の経営企画を担当。引き続き女性たちが長く働きやすい職場環境について考えつつ、経験を積みフリーランスになる人が多いというファッション業界のPR職ならではのキャリアにも目を向けた関わり方を模索していました。
「キャリアの延長線上にフリーランスという世界があるためか、ファッション業界のPR職はどうしても個人主義になりがち。お互いに助け合って仕事ができる環境にするにはどうしたらいいのかについてはいつも考えていましたね。また、私は結婚し、出産を経験し、子育てをしながら働くという経験をしてきているので、『どうしたら谷内さんのようになれますか?』と、女性ならではのキャリアに関する相談を受ける機会も多かったです」
思いとタイミングが重なり起業へ
これまでに経験したことがない異業種、そして女性が多く働くファッション業界でも、持ち前の柔軟な姿勢で仕事に臨んできた谷内さん。その一方で、「自分で会社を経営してみたい」という思いもふつふつと湧いていました。
これまでに経験してきたのは、取締役や経営企画など、ある意味でトップの右腕とも言える立ち位置。それでも、これまでのような”2番手”ではなく、自分の会社を作って率いるという経験をしてみたいという気持ちが高まり、ついに起業を決意します。